投げキッス

バスの中にいる美女から投げキッスを送られた俺は、夢中になって投げキッスを返していた。

 

美女からの思わぬ投げキッスに舞い上がった俺は、気が付くとしばらくバスを追いかけながら三回、四回と両手を広げて投げキッスを返していた。走り去るバスが、坂道を下って行くのをツツジの植え込み越しに見送りながら、俺の脇からヘソにかけて冷や汗が流れ落ちた。


「みんな、めっちゃこっち見てたやん。」


それは今年の6月に、淡路島へ合気道の合宿に行ったときの出来事だ。稽古後に、近くの温泉に入りに行くのが毎年恒例となっていて、最終日はそこで解散となる。自分の車で淡路島まで行っていた俺は、バスで帰るほとんどの参加者を温泉の前で見送る形になった。

 

合宿は、二日間に渡りタイトな時間割りでハードに行われる。体力に自信がない俺でもなんとか二日間を乗り切ることができたという充実感に満たされながら、バスの中から手を振ってくれる皆に手を振り返していた。そのほとんどが年に一度か二度としか会うことのない人たちだ。それぞれが抱いているに違いないそれぞれの充実感に満たされたとてもいい顔をしている。

 

その中に、ふと見慣れた顔が目に入った。同門のTさんだ。Tさんは、遠方に住んでいるのだが、遠路遥々今回の合宿に参加していた。今、流行りの言葉でいうと、まさに「美魔女」と呼ぶのにふさわしい容姿の持ち主で、キラキラした目を輝かせながら俺に向かって投げキッスを送ってきてくれたのだ。隣りに座っている人にバレないようにだろう、その小柄な体をシートと窓の隙間に潜り込ませ、唇の前で小さく指でポッと花咲かせるようして投げられたかわいいキッスに俺の胸はキュンと高鳴った。


そこで俺は、Tさんに向かって夢中で投げキッスを返したわけなのであるが、他の窓からもまた奥側の席からも立ち上がってこちらへ手を振るたくさんの人々がいたわけであり、つまりそれはバスの中にいる人たちにとってみたら、とんでもないことを俺はやらかしてしまったわけである。「キモっ。」ってなった人もいれば、「は?殺すぞ。」と思った人もいるはずだ。40半ばのおっさんから容赦ない投げキッスを送られた若い女性たちの気持ちを想像するだけで、いまだに俺は悶絶してしまいそうになる。

 

そして、よくよく考えてみたら、あの時のTさんの目の奥には、いたずらっ子のような光が宿っていたとしか思えないのである。

 

 

 

 

こないだ、久しぶりにTさんに会ったので確認してみたら、「んふふふふ。ほんとバカねぇ。」と、いたずらっ子そのものの目で笑っていた。

 

 

 

 

 

ま、惑わされた。見た目だけでなく、Tさんはまさに美魔女だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤っ恥は掻いたが、あの時の胸のトキメキはいつまでも忘れない。そして、あの日から俺はずっと探してる。本物の投げキッスを………ふっ。

 

 

 

 

 

それでは聴いていただきましょう。エンディングを飾ってくれるのはTHE DOORSで、曲は「ハートに火をつけて」です。どうぞ。