俺とあいつはライバルだった。俺とあいつは、いつもくだらないことで張り合い、常に互いの行動に目を光らせ、相手の失敗やカッコつけようとした瞬間などを見つけては、すかさずツッコミを入れていた。
そう。あいつとは、俺の双子の兄のヒロシのことだ。中学生時代は、そのライバルならではの応酬が一番激しかった時期で、所属していた軟式テニス部では、双子でダブルスのペアを組んでいたのだけど、(双子なだけにレベルが限りなく近かったのと、顧問の先生の面白半分な興味からによるペアリングだ。)お互いのミスがゆるせないもんだから、負け試合のときはひたすら険悪なムードで試合が進んでいった。あんまり憎たらしいもんだから、俺なんてサーブを打つ時に、ヒロシの後頭部を狙って打ってたもんね。本気で。そんな多感(?)な中学時代に、俺は取り返しのつかない失敗を犯してしまった。それは、中三のある夜のことだ。
その夜、俺は悪夢にうなされていた。今でもありありとその夢の内容を思い出せる。蜘蛛のようで蜘蛛でない、わけのわからない真っ黒な大量の蠢く虫たちが、家の前にある公園で集結して、次第に家の中へ侵入し、俺の部屋めがけて階段や天井を這い上がってくるのだ。そこから、一気に扉を突き破って部屋に流れ込んでくるシーンが何度も繰り返されるという悪夢だった。逃げようともがいても、なぜか身体がまったく言うことを利かず、何度も同じように襲われていた俺は、再び時間が巻き戻された公園で集結している虫らの気配を感じていた。もう嫌だ。もう襲われたくない。鉛のように重たかった俺の身体が、まず指先からピクリと動いた。それをきっかけに、ガバッと一気に飛び起きた俺は、迷わず隣りのヒロシの部屋に駆け込んでいた。寝ていたヒロシが、眠そうに布団に上半身を起こして不審がる。
「な、なによっ???」
「おるねん!」
「は?」
「おるねん!」
「はっっっ???」
「おるねんてっっっ!!!」
とにかく、もう時間が残されていない。奴らの気配が、すぐそこまで迫って来ているのだ。俺は、迷わずヒロシの布団の足元にもぐりこんで、そのまま頭からすっぽりと掛け布団をかぶった。身体中にかいている汗の量もすごかったが、がくがくと膝が震えていることにも気づいた。
冷静になってきたのは、しばらく経ってからのことだ。こ、これはやばい。俺は今、絶対にやってはいけないことをやってしまっている。実は、俺が三歳くらいの時にも、寝ぼけて布団から起き上がり、家の外まで走って出たことがあるらしいのだ。隣りで寝ていた母親が気づいて追いかけると、家の前の公園まで逃げた俺は、追いついてきた母親の顔を見て、こう叫んだそうだ。
「ぎゃーーー!!おばけーーーーっ!!!」
なんせ三歳くらいの時のことらしいので、まったく自分では覚えてないのだが、ことあるごとにその話題は食卓にのぼり、家族からいじられていたのだ。中三にもなって、怖い夢を見て、あろうことか最大のライバルの布団にもぐりこむなんて、これは一生コケにされ続けるに違いないぞ。と、ヒロシの布団の中で違う種類の汗をかき始めていた俺は、ヒロシの寝息が聞こえてくるまでひたすらジッと待ってから、気づかれないよう、ゆっくりと、ゆっくりと自分の部屋へ戻ったのだった。
「おい、あれは何やったんや?」
もちろん翌朝、ヒロシが聞いてきたので、俺は答えた。
「はっ?何が?」
できる限りキョトンとした顔で、俺はトボけた。当時、中三だった俺のその時の演技力は、その年のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされてもおかしくないくらいに洗練されていたと思う。調べて見ると、その年(1988年)のアカデミー賞主演男優賞は、映画『ウォール街』のマイケル・ダグラスが受賞したらしい。
……は?
俺やろがいっ?
昨夜の「おるねんっ!」のくだりも含めて、俺こそが主演男優賞や。迫真に迫る演技やったやろがいっ。ダグラスごときが何をでしゃばっとんねん。フン。
さて、ヒロシには、それからも二〜三度確認されたが、そのまま、ひたすらトボけにトボけ続けて、十年以上経ってからカミングアウトした。
「あ、あほよっ。あの時、むっちゃくちゃ怖かってんぞっ。」
と、怒られた。考えてみりゃそりゃそうだわな。ごめんよヒロシ。
おわり