アジ

刺身が好きだ。中でも、俺が好きなのは、ハマチと甘エビ、アジなのだけど、第一位を決めろと言われたら困るな。まぁ、でも僅差でアジかな。
 
アジの刺身には、生姜とネギを全体にまぶして、醤油をさっと回しかけてから頂くのがベストだろう。
 
俺がよく行く朝市に、魚屋さんが来ている。軽トラの荷台に、その日の朝に仕入れてきたばかりの新鮮な魚介類が並べられていて、顔見知りになってからは、安くしてくれたり、サービスしてくれたりする。
 
 
その日も朝市に行った俺は、まず最初に魚屋を覘いてみた。活きの良さそうな大きなアジが並んでいたので、おっちゃんに無理を言って五匹おろしてもらうことにした。魚屋は盛況で、とても忙しそうにしていたので、一匹たった300円のアジをおろしてもらうなんて頼みにくかったのだが、これも馴染み客になった強みだろう。
 
その日の朝市では、友人とも合流し、楽しくゆっくりごはんを食べてから、再び魚屋に寄る。三枚におろしてもらったアジと一緒に、カツオのたたきと鮭の切り身も買って帰ることにした。家に帰ってから、妻に生姜とネギがあるかどうかを確認する。よし。ビールも買ったし、今夜は、ゴーセーに刺身食うぞー。と、妻に向かって声高々と宣言する。
 

 

六月中旬を過ぎたというのに、なかなか梅雨入りしない近畿地方の涼しい休日は、それはそれは有意義に過ぎて行き、気が付くとあっという間に夕方になっていた。有意義に過ごせたのも、冷えたビールとアジの刺身が俺を待っているからだ。もとい、アジを待っているのは俺だ。しかしこの際、片思いでも一向に構わない。俺は、アジ刺に恋焦がれている。

 
ビールとグラスを用意して、食卓に着く俺。子供たちがキッチンから運んできてくれた皿々を見回すと、なにやら様子がおかしい。アジの刺身が少ししか皿に盛られてないのだ。大きなアジを五匹もおろしてもらったはずなのだが、どう見ても1.5匹分くらいしか並んでない。
 
 
 
「あれ?アジって、これだけしか入ってなかったの?」
 
 
 
聞くとキッチンにいる妻から、信じられない答えが返ってきた。
 
 
 
「あぁ、他にもいっぱいあったから、アジは煮付けにしちゃった。ほら、そっちのほうにあるでしょうよ。」
 
 
 
新玉ねぎのスライスの上にカツオの叩きが盛られた大皿の横には、ぽってりと煮付けられたアジが積み重ねられた中皿が置いてあった....。俺は、星飛雄馬の親父級に机をひっくり返したくなる衝動を抑えるのを我慢した。
 
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…ハァハアハァ。と、かろうじて、机をひっくり返すのだけは止めることができたが、ため息が止まらない。刺身にしたらさぞかし美味かったであろう切り身のその姿のままに、生姜と醤油で煮付けられたアジを俺は正視できなかった。切なかった。煮崩れしていないアジは、落し蓋をした上で、しっかりと煮付けられたんだろうなということが一目で分かった。ヤケクソ気味に、一切れ食べてみると、あまりの旨さに、更に絶望したのであった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
魚屋のおっちゃんよ、本当にすまなかった。