窓際のコーヒー

電車の窓の桟には、紙パックのコーヒーが取り残されている。
 
混み合う新快速電車の車内に、空席を見つけた俺は近くにまだ数人の立っている人がいることを少し不思議に思いながら通路を進んだ。空席の前まで来てその理由がようやく分かった。その窓際に置かれた紙パックのコーヒーが原因だろう。
 
紙パックのコーヒーは、かつてそこに座っていたであろう人間の気配をあまりにも色濃く残していた。コーヒーは飲み干されてから置き去りにされた可能性の方が高いのだが、なぜだか電車の窓の桟に載っていると、中身が入ったままのような重々しい気配を醸し出しているのだ。迂闊に触れるとストローからビュッと中身が飛び出すかもしれない。ズボンにかかったら最悪だ。電車を降りて、駅のエスカレーターを下る俺のズボンの股間のあたりを見て、エスカレーターを上ってくる髪の長い綺麗な女性が薄ら笑うかもしれない。「違うんですよ。これはですね。窓際の紙パックのコーヒーをですね。」と説明しようとする俺に構わずエスカレーターは進み、二人は離れ離れになってしまうだろう。もう二度と出会うことのない二人は、こうして一生埋めることのできない溝を残したまま、それぞれがそれぞれの場所で生きてゆくのだ。
 
さて、普段の俺なら、その窓際にコーヒーが残された席には座らずに違う空席を探すか、または立ったままいることを選んだことだろう。しかし、その日の俺は疲れすぎていたので、そのままその席へ座らせてもらうことにした。それに周りの人たちからすれば、窓際にコーヒーが残された空席に俺が座るのを見ているのだから、俺のコーヒーでないのは一目瞭然なわけである。俺はできるだけ被害者面をして、ヤレヤレ、、、という感じで、その席に座ることにした。
 
電車のシートに深く腰を沈めた俺は、窓際のコーヒーを手の甲を使い注意深く隅っこに押しのけて、自分の視界に入らないようにした。どうやら、中身は空のようだ。俺は安堵しながら、加古川駅へ到着する時間の二分前に携帯のアラームをセットして、ヘッドフォンでエリック・サティのピアノ作品集を再生した。窓ガラスに映る俺の横顔には、移りゆく街の灯りが次々と通り過ぎて行った。
 
ふと我に帰り車内に視線を移すと、日曜日の七時過ぎということもあり、楽しかったであろう休日の陽光の余韻が、明日から始まる一週間を思う気持ちに影を作りだしているかのようだった。俺と同じ四人掛けのボックス席の向かい合わせになって座っている30代前半と思しき二人組の女性の会話も途切れがちだ。俺の向かい側に座っているスーツ姿の青年は、休日出勤だったのだろうか、スマホを片手に持ったまますっかり眠りこけている。緩めたネクタイの隙間から、弛んだ喉仏が見えた。それから軽く目を閉じた俺は、いつのまにか深い眠りに落ちてしまっていたようで、ヘッドフォンからは目覚ましのビープ音が鳴っていた。スマホを操作してから、俺は脱いでいた上着と荷物を一つにまとめ、出口へ移動するために席を立ち、通路へと出た。その時、後方から俺に声が飛んできた。
 
「忘れてますよ!」
 
窓際のコーヒーのことだと気付くまでに少し時間がかかった。周りを見てみると、いつの間にか四人掛けのボックス席の顔ぶれはすっかり入れ替わっており、必然的に俺の飲み残したコーヒーだと思われたようだ。俺は、その紙パックのコーヒーを本来持ち去るべき持ち主のことを思い、イラつきを抑えながら答えた。
 
「いや、それ私のじゃありません。」
 
そんな無責任な奴と一緒にされちゃ心外だ。言っとくが、俺は公園や道端などに落ちているゴミはなるべく拾うことにしている。しかし、電車の中では、清掃員の方がいるだろうという安心感を抱いてしまい、結果としてゴミを出した人への怒りの感情だけが湧いてしまったのだ。無責任な持ち主の唾液や手の脂などのついた忌みべき対象としか見れなくなってしまい、なるべくなら触りたくなかった。道端のゴミを拾えるなら同じじゃないのか?と思うかもしれないが、道端のゴミの場合は圧倒的に量が多すぎて一々腹を立てていたら、精神衛生上よろしくないので怒りを抑えてゴミを拾うすべを俺は身につけているのだ。まぁ、そんな大層なことではなく単純に何も考えないようにしているだけで、それよりも俺が拾わなきゃ誰が拾うのだ!みたいな使命感が優っているため、それほど苦にならないのだ。
 
 
しかし、よくよく考えてみると、そのとき電車の中でとった俺の行動は、なんて子供じみていたんだと深く反省している。もしもあのときに誰も、「忘れてますよ!」と言ってくれなかった場合、周りにいる人たちは窓際に残されたコーヒーを見てから俺の背中をギラリと睨みつけていたことだろう。まさか、被害者から加害者になってしまうとは思わなかった。そこに座ってしまったからには、自分のゴミとしてスマートに持ち去り、駅のホームのゴミ箱へ捨てるべきだったと思うのだ。俺が、疲れた身体を空席に深く沈ませることができたのは、その紙パックのコーヒーが窓際に残されていたおかげなのだ。
 
それに新快速が終着駅に着いたからといって、直ちに清掃員の方が入ってくれるとも限らない。そのまま折り返し運転をする可能性だってあるのだ。そうしたら、また同じようにイラつく人や要らぬ疑いをかけられる人が出てくるだろう。ひょっとしたら、その紙パックのコーヒーは、その日の朝から何度も姫路⇔米原間を行ったり来たりしていたかもしれないではないか。その場合、様々な人々の怨念が紙パックの中に込められていたことになる。俺さえ爽やかに捨ててやることができていれば、怨念たちはすんなりと成仏することができたはずで、その紙パックのコーヒーが後日、「実はあのとき助けてもらったコーヒーなのです。」と言って、俺のところに恩返しにやってきたかもしれない。それに、そうした俺の一連の行動を少し離れたところから見ていた可憐な色白の女性が、俺の優しさにメロメロになった可能性だってあるじゃないか。妻子ある身なので、それはそれで困るのだが悪い気はしない。いや待てよ。シルバーシートに座ってすべてを見ていた白髪の資産家のおじいさんが俺の行動に感心し、すべての財産を俺に託すと代理人を通じて申し出てくる可能性だってあったぞ。
 
 
 
なんてこった。俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。
 
 
 
こうして、自意識過剰な俺の日曜日がまた終わる。ちなみに、この日の自意識過剰メーターが最大値に振り切ったのは、窓ガラスに映る自分の横顔に、移りゆく街の灯りを重ねながらエリック・サティを聴いていた瞬間だろう。
 
 
 
 
 
 
 
おしまい。