白帯と黒帯

合気道初段の黒帯とお免状をいただいた。


合気道では、柔道と同じで初段までが白帯、初段から黒帯になる。合気道といえば、まず袴姿を思い浮かべると思うのだけど、女性は五級になった時から袴が履けても、なぜだか男性は初段にならないと履けないのだ。袴を履くことは、合気道を始めたばかりの人にとって、憧れの対象でもあるかもしれない。そして袴を履いてみて分かったことだが、袴には見た目の美しさだけではなく、ドーピング効果があるのだ。帯と腰板が骨盤を支えてくれ、姿勢をしゃんと保ってくれるし、雑に足をさばくと、すぐに長い裾を踏んづけてしまうため、正しい足さばきが身に付くという利点があるのだ。こんなにいい物を五級の時から履ける女性はずるい。と、思った。


さて、僕の昇段審査は三月の終わりに行われたので、袴はその翌週の稽古から履いていたのだけど、黒帯はお免状と一緒にいただくため、袴と黒帯が揃うのに約一ヶ月の時間差ができた。黒帯は、道場長から昇段者へと贈呈されるのだ。ようやく袴と黒帯を手にした僕なのだが、実は袴が履けることよりも黒帯を付けることのできるほうが、圧倒的にうれしかったりする。


中学、高校と体育の授業で柔道があったので、黒帯に対する憧れが強かったのだ。柔道の時間に、黒帯を付けている柔道部員たちの圧倒的な強さを覚えている。当時の僕は、身体が小さく細かったので、組んだ途端にペチンと呆気なく投げられてしまったもんだった。そして、白帯の道着姿ってのは、いかにも弱そうに見える。合気道の稽古を市立の武道館でしていると、隣り合わせた道場で子供柔道の稽古をしていることがある。白帯の僕は、子供たちやその保護者たちや指導者たちの前を通り抜ける度に、小さくなっていた。別に合気道は、強い弱いを競う武道ではないのだけれど、僕の心の中には、彼らの声が聞こえた。「こいつ、いつまでたっても白帯やなぁ。」もちろんそれは、僕の勝手な思い込みなのかもしれないけれど、更衣室や体育館などで出会う柔道以外の競技をしにきた人々ですら、必ずチラリと僕の白帯に目をやっていることに……わ、わしゃ気付いとんやぞー、お前らーーーっっっ。


僕の耳には、彼らの声が聞こえてくる。「おいおい、こいつ大人のくせに白帯やて。ぷぷぷ。」そのたびに、「いや、あのね。合気道ってのはね……。」などと説明するわけにもいかないので、ただひたすら小さくなっているしかないのだ。(合気道着と柔道着は、作りが違うのだけど、一般人から見るとほとんど見分けがつかない。きっと、多くの人が、袴を履いていない白帯の合気道着の人を見かけた時、「柔道をやっている弱い人」と認識することだろう。)


このようにして僕は、一般人から受ける視線によるハラスメントに耐えながら稽古を続けてきたのだ。そして今僕は、ようやく憧れの黒帯を手にすることができた。さて、これを読んでいる人の中には、「袴履いてたら、黒帯付けてるかどうかわからへんのと違うの?」と思っている人がいるかもしれない。そうなのだ。まぁ注意して見れば、袴の隙間から黒帯は見えるのだけど、袴のほうがずいぶん目立つので黒帯なんて目に入らないのだ。しかし、それでも決して黒帯に意味はなくない。むしろ都合がいい。


袴を履いている人は、稽古が終わると更衣室ではなく道場の中で袴を脱ぐ。なぜなら、袴を折り目にそってきれいに畳んでおく必要があるため、更衣室よりも畳の上の方が畳みやすいのだ。隣りの道場で柔道をしている子供たちやその保護者たちや指導者たちは、僕のするりと脱いだ袴の下から出てきた黒帯を見て、「おっ!?」と声を上げそうになるに違いない。「ちょっと、あの人ったら脱いだらすごいやんか♡」と、頰を赤らめながらささやき合うご婦人たちの声が聞こえるぞ。普段は袴の下に隠れていて見えないほうが、より黒帯が輝いて見えるに違いないのだ。何事もそうだ。自分から言いふらしたり見せびらかしたりするよりも、さりげなくバレてしまうほうがカッコいいに決まっているのだ。ふふふふふ。


僕には他にも色々な声が聞こえる。「お前、どこまで自意識過剰やねん。」という、これを読んでいるみんなの声も聞こえるぞ。まだまだ聞こえるぞ。「長いねんっ。」という声が僕には、はっきり聞こえるぞ。ふふふふふ。ふふふふふ。ふふふふふふふのふふふのふーーーー。

 


おしまい。