思い出のカセットテープ

この頃、カセットテープが流行りなのか?僕の好きなアーティストが続けて、カセットテープで作品を発表した。実は僕は、カセットテープには、特別な思い入れがあるので、これは黙ってられない!と、こうしてペンをとったわけなのです。

 

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恥ずかしながら僕は二十代前半の3年ほど、京都でバンドマンをやっていたのだけど、実はそのすべてのきっかけはカセットテープだったのだ。普通、若者がバンドを始めるきっかけは「カッコよくギターを弾いてモテたい。」とか「俺、歌超上手い!ボーカル以外全パート募集!モテたい!」とか「友達に誘われてベースを始めました。できれば俺もモテたい。」などという軽薄な動機が多いと思う。しかし、僕の場合まったく違うのだ……。

 


当時(約20年前)大学を出たばかりの僕は、趣味でギターは弾いていたので、コードはいくつか押さえることはできた。でも学生時代はバンドなんて組んでなかったし、もちろん曲も作ったことなんてなかった。そうして大学卒業後、「失恋した男は片っ端から北へ向かう症候群」によりフェリーで渡った北海道での酪農業手伝いを辞めて、地元へ帰ってきた頃だったろうか。たまたま入った楽器店で、「カセットテープのMTR」なる物を見つけたのだ。「MTR」とは、「マルチトラックレコーディング」の略で、すなわち多重録音のできる機材のことなのです。なんと市販のカセットテープを使って4トラックまでの重ね録りができるのだ。

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例えば、トラック①にドラム。トラック②にベース。そしてトラック③にギターを撮ってから、トラック④にボーカルを録るというようなことができるのだ。(実際には4トラックだけじゃ足りないので、トラック①~③をトラック④にまとめておいてから、再び空いたトラック①~③に録音するということを繰り返すことで、無限に音を重ねられる。まぁ、重ねれば重ねるほど音質は悪くなるので、そう何度もやらないけど。)

 

僕がたまたま入った楽器店で見つけた、そのMTRはとってもキラキラしていた。としか言いようがない。だって、当時の僕はMTRになんてまったく用がないのだから。しかし、そのMTRにはカラフルなツマミやらスイッチやらがたくさんついていて、たいそう魅力的に見えたのだ。店員さんに、どうやって使う物なのか簡単に教えてもらったのだが、その可能性は無限大で、まるで夢の機械に思えた。


そのMTRは、僕のことをジッと待っていたような気がした。うん。だって目が合ったのだ。一目ぼれってやつ?しかも両思い。値段も3万円くらいだったと思う。僕は、手取り10万円ぽっちでひたすら過酷な労働を強いられた牧場で貯めたお金の一部を使って、そのMTRを買った。

 


そのMTRの取説を読みながら、僕が恐る恐る最初に作った曲が、「浮浪もじゃのテーマ」というインストゥルメンタル曲である。

 

当時、リスペクトしていた漫画『浮浪雲』(ジョージ秋山・著)

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と、 『バカドリル comics』(天久聖一タナカカツキ・共著)に登場する “ モジャ先生 ”

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 を掛け合わせ “ 浮浪もじゃ ” というユニット名にした。

 

大学時代の友人のサヤカちゃんにキーボードを弾いてもらって作ったアルバム「浮浪もじゃの『浮浪もじゃいっかぁ』」は、一曲目にこの素人臭丸出しのどうしょうもない出来のオリジナル曲(「浮浪もじゃのテーマ」)を据え、残りはサニーデイサービスやfishmansやSPECIALSのカバーで埋めるという超若気の至り的なアルバム作りを成し遂げた。今なら、そんな選曲はしない。いや、恐れ多くてできないだろうな。

 

北海道の牧場の親方によって、「若造が酪農舐めんなよな。」とトコトンまで苛め抜かれ、冬の寒さと過労から、ついには椎間板ヘルニアになり、挫折し、萎れた気持ちで本州へ戻ってきていた僕は、抑圧された感情やら情熱やらを解放し、堰を切ったようにたくさんの曲を作っていった。主に双子の兄が詞を書き、その詞に僕が曲をつけた。

 

“ 浮浪もじゃ ” の次に、僕が双子の兄と組んだバンドは “ メガネメガネ ” と名付け、『ヒネモス』、『エメロン』の二枚のアルバムを立て続けに作った。

 

“ メガネメガネ ” というバンド名は、もちろんヤッさんこと横山やすしのネタから付けた。特別な意味は何もない。

 

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僕らは活動の本拠地を京都に移した。その頃、既に京都でバンドマンをやっていたYを頼って、僕らは京都へ移り住んだのだった。僕らとYは小中学校の同級生で、Yはドラマーだった。僕がギターで、双子の兄がベース&ボーカルという編成のスリーピースバンドだ。バンドに対する憧れは強くとも、経験も技術も低い僕らに対して、Yはひたすら、「グルーヴ」を求めた。僕はMTRを使って、しっかりとチマチマと音作りをしたかったが、Yは「セッション」や「パッション」を重視した。はっきり言って苦痛以外のなにものでもなかった。何度か三人で一緒にスタジオに入ったが、ある日双子の兄が僕にこう言った。

 

「俺がドラムやるわ。」

 

Yと決別したい双子の兄の果肉の策だったが、今思えば、この時がやっと見つからなくて、ずっと探していた僕らのメガネを見つけた瞬間だったんだなと思う。僕らは二人で、好きなだけ曲を作り、好きなだけレコーディングをした。カセットテープのMTRが、僕らの味方だった。

 

その後、大阪に住んでいたサヤカちゃん(ex.浮浪もじゃ)の妹のマキちゃんにキーボード&ボーカルで参加してもらい、『フレーム』、『日本のメガネ』、『世界のメガネ』、『宇宙のメガネ』、『ファーストキス』の五枚のカセットテープアルバムを作って、タワーレコード京都店や心斎橋店で販売してもらったりした。後期には、メンバーそれぞれが作詞作曲を行うようになっていたので、たくさんの曲が生まれ、四畳半のアパートの部屋でレコーディングされた。またアルバムを聴いた人々からファンレターを頂いたり、S◯NYMUSICさんから声がかかったりしたが、残念ながら1999年に解散してしまった。同じ時期には大好きなバンド、fishmans佐藤伸治も死んでしまい、僕の青春は完全に終わってしまったのだった。

 

 

というわけで、いわばカセットテープは僕の青春そのものなのだ。1999年のメガネメガネの解散から、まったくそのときの音源は聴いてなかったのだけど……その間、世の流れはみなさんご存知の通りカセットテープから、MDやCDになり、はたまたものすごい勢いでmp3やyoutubeにその座を奪われてしまったわけで……それがここへ来て、まさかのカセットテープの復活に心躍り、思わず懐かしのテープのアルバムたちを(さすがに初期の作品は、おそろしくて聴けなかったけど……)引っ張り出してきて聴きましたよ。

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 いやぁ名曲だらけだったわ。

 

 

 

 

 

 

僕らの青春時代がそのままパッケージされてたね。ぶわっ!て蘇ったわ映像が、ぶわっ!!て!!二十年前の当時の僕の住まいでもあり、レコーディングスタジオでもあった京都の小次郎荘の埃っぽい廊下や機材や楽器だらけの狭く汚い部屋を思い出しましたよ。

 

 

 

 

 

 

 さて、それでは多くの懐かしい音源の中から、僕が生まれて初めて作った曲を聴いていただきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

浮浪もじゃで「浮浪もじゃのテーマ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、そんなもん公開できるかーーーい!!

 

 

 

 

 

 

 

 



というわけで僕は、「カッコよくギターを弾いてモテたい。」とか「俺、歌超上手い!ボーカル以外全パート募集!モテたい!」とか「友達に誘われてベースを始めました。できれば俺もモテたい。」などというような不純な動機からではなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

MTRで重ね録りしたい。これはモテるはず。」

 

 

 

 

 

 

 

という動機でバンド活動を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでモテなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり