イライラについて

タカシはイライラしていた。

 
 
 
 
なぜなら、この頃やっといくつかの技を覚えられるようになってきて、合気道の楽しさが分かってきたというのに、同期のKが毎週のようにいろんな知り合いを連れてくるのだ。見学者が来るたびに基礎練習に割く時間が増えて、技の稽古に割く時間が減っていた。
 
しかもだ。見学に来ただれもが入会するわけではなく、二度と顔を見ないことだって少なくなかった。「もっと技を覚えたいのに!」と、道場にいる誰もが感じているに違いないと、タカシの内心は穏やかではなかった。
 
その日も新しい見学者があり、ようやく技稽古に入ったかと思うと、足の捌き方がわからない人が続出し、タカシがせっかくコツをつかみかけていた ”四方投げ ” までたどり着くことができなかった。
 
稽古が終わり、合気道の開祖である植芝盛平先生の写真に全員で向かって礼をし、振り返った我が師のS先生に向かって再度全員で礼をする。続いて道場の真ん中で円を作ってお互いに礼をするのが、毎回の締めくくりであった。円を作り、最後の礼をしようとしたその時、いつも優しいS先生が大きな声を出した。
 
 
 
 
 
「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください! 」
 
 
 
 
 
普段は、注意深く聞いていないとS先生の声は聞き損じてしまうくらいの声量なので、これは相当怒っているのだろう。確かにその時の円は、お互いの間隔だってマチマチで全体的にぐにゃりと曲がってしまっていた。タカシは、心の中でこう思っていた。
 
 
 
 
 
 
 
「ほれみろ。Kが次々といろんなの連れてくるから先生だってイライラしてるじゃないか。」
 
 
 
 
 
しかし、それは技に溺れていたタカシの浅はかな考えだったことに気付いたのは、つい最近になってからのことだ。
 
 
 
合気道の稽古では、たくさんの技を覚えなければならない。最初のうちは、何が何のことだかさっぱりわからない。初めての技は、何が正解かわからず頭の中はクエスチョンマークだらけになる。しかし、先生や先輩に教えてもらいながら、何度も繰り返しているうちに、身体が覚えて、頭で考えずにサクッと動けるようになる瞬間がやってくる。その時はまるで、脳みそがパッカーンと開いたような感覚に襲われる。しかしだ。「出来た!」と思うのはその時だけで、じきにまったく自分が出来ていないことに気づいてしまうのが合気道の奥の深さである。なんせS先生ですら自分で満足できる技をかけたことがないとおっしゃっていることからも、合気道の技をモノにするするのはそんなに簡単なことじゃないというのが、わかってもらえるだろう。
 
稽古中は、ひたすら徹底的に技の完成度を上げることを目指すのに、「技なんてどうだっていい。」とは、矛盾しているではないか?と、考えたタカシは、単純にS先生がイライラして大きな声を出したのだと勘違いしたのだ。今となっては、ホントにタカシは馬鹿だ。優しくて、合気道が大好きなS先生は、そんなことでイライラなんてしない。するはずがない。
 
S先生は、技に溺れたタカシに向って声を大にして言ったのだ。きっと過去には、イラつくタカシを見て居心地が悪くなり、稽古に来なくなってしまった見学者もいたに違いない。タカシは全然分かっていなかった。
 
反省したこの頃のタカシは、新しくやって来て、なかなか技が覚えられずに居心地悪そうにしている人が、楽しそうに合気道ができるように気を配ること。そして、(昔のタカシのように)技に溺れて周りが見えてない人から、我が消えるように、言葉や態度で示してみたりすることにしている。
 
タカシが、何よりも稽古の中で一番大切にしようと心がけているのは、稽古相手と向かい合って礼を交わすときに、しっかりと相手の目を見てから、心の底から気持ちを込めて「お願いします。」と言うことだ。そして、最後に同じように「ありがとうございました。」と言うことだ。
 
稽古の中では、①先生がまず道場生のひとりを指名し、②みんなの前で解説を加えながら手本を示し、③それを2〜3人ずつの組みに分かれてから、④お互いに礼を交わし、④それぞれが技をやってみる。ということをやる。ある程度の時間をその技の稽古に割いたら先生が、⑤「ハイそれまで!」と言い、⑥またお互いに礼を交わしてから、①の過程に戻り、別の技をやる。ということを何度もやる。
 
この④と⑥の「お互いに礼を交わす」時に、相手の目も見ずにそそくさと適当にやってしまうことは、自分でしっかりと気をつけていないとついついやってしまうのだ。2人一組ならともかく、時には4〜5人で組む場合もある。そうすると、礼を交わすのがおざなりになってしまうのだ。それに、目を合わせて心を合わせるなんて、なんか照れ臭いじゃないか……しかし、
 
 
 
 
 
「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください!」
 
 
これが、S先生の目指している合気道なのだ。この頃、ようやくその意味が分かるようになってきた気がする。
 
 
 
 
 
さて、タカシは見た目のマイルドさに反して、ギスギスしたり、角を立てたり、毒づいたりすることがあり、時には非情とも言われることがあるのだが、合気道の本当の楽しさが分かってきた今日この頃、これまでこだわってイラついてきたなんやかんやが、だんだんどうでも良くなってきた。
 
 
 
なんていう話を友人(悪友)にしたら……
 
 
 
「おいおい、どうした?タカシの持ち味がなくなってるやん。合気道やめたほうがええんとちがうか?」
 
 
 
と、言われた。いつも何かにイライラして怒っているのがタカシなのだそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うーむむむ。
 
 
 
 
 
おしまい。