計算問題

タカシ君は、チェンソーを分解するためにトルクスレンチという特殊な工具(a)が必要になったので、以前から欲しかった自転車のフレンチバルブ用のエアチャック(b)と一緒に、モノタロウで注文することにしました。

 

モノタロウでは、税抜き3,000円以上の購入で、送料が無料になりますが、(a)と(b)の二つ合わせても2,980円だったので、それほど欲しくもない120円の油性マーカー(c)を買い物カゴに入れました。急いでいたので、(c)は適当に決めた品物でした。

f:id:themegane3:20190208081017j:image

(a)トルクスレンチ[27インチ] 1,490円

 

 

f:id:themegane3:20190208112427j:image

(b)エアチャック 1,490円

 

 

f:id:themegane3:20190208081026j:image

(c)油性マーカー[黒] 120円

 


タカシ君が、(a)〜(c)の品物を注文した翌日、さっそくモノタロウから荷物が届いたので、開封してみると、(a)と(b)が入っていました。

 

f:id:themegane3:20190208112440j:image

 

タカシ君は、あれ?おかしいな?と思いましたが、その翌々日になって、(c)だけが梱包された荷物が届いたのです。

 

 

f:id:themegane3:20190208112451j:image

 


さて、ここで問題です……。

 

 

 

 

 

 

 


モノタロウさんよ。たった3,000円ぽっちの発注に対して、二回分の送料を無料にしておいて、あんたの儲けは、いくらあるんだね?いや、ないよね?モノタロウさんいったい、いくら損したんだね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タカシ君は、モノタロウさんの負担やその気持ちを考えると、とても切なくなってきましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 おしまい

 

袴の着付け

一緒に合気道をしているある後輩の袴が、稽古中にいつも乱れて、ズレて、グダグダになってしまうことが多かった。その度に掛かり稽古を中断して、袴を直さなければならなかったので、「今度、袴の着付け教室しよか。」と、先輩風を吹かせていた。


昨夜、道場の更衣室で、先生と一緒に袴を履きながら、着崩れないポイントを、その後輩に教えることをイメージしながら、いつもよりしっかりめに着付ける。


合気道では、女性は五級から袴を履くが、男性は初段になってからしか履けない。その後輩は、女性なので、俺よりももっと先に袴を履き始めたというのに、袴を履くことにおいては後輩の俺が教えてやんなきゃならないなんて、ヤレヤレしょうがないなぁとか、思いながら(キメ顔で)道場へ向かう。その道中、どうも袴が窮屈だな。いつもと違うな。変だなー、変だなー。おかしいなー、おかしいなー。と思っていたら、どうやら左足を入れる箇所に、左足と右足どっちとも突っ込んでいたようだ。

 

 

 

 

 

 


「今度、袴の着付け教室しよか。」

 

 

 

 

 

 

 


どの口が言うとんねんっ!

武道場

合気道の自主稽古をするために、武道場の予約をしていたので、まず体育館の窓口にお金を払いに行く。

 

支払い窓口のある体育館のロビーには、暖房が心地よく効いていたが、武道場の更衣室のPタイルはこの季節になると、暖房もなく、氷のようになるのを思い出して少し身震いした。

 

窓口で、「予約していたですが。」と申し出るが、そんな予約は入ってないと言われる。おかしい。そんなはずはないんだけどなと、予約コードを見せると、どうやら、窓口のお姉さんったらテニスコートの予約だとばかり勘違いしていたようで、テニスコートの予約者リストの中から、俺の名前を探していたようだ。

 

それは、俺の醸し出す、あまりにも爽やかで清潔な雰囲気によって、窓口のお姉さんに誤解させてしまったのであり、主語もなく話しかけた、こちらにも非はあるので、フッと前髪をかき上げながら、心の中の白い短パンの裾を直してから、スマートに支払いを済ませた。いくら心の中とはいえ、この季節になってくると短パンは寒いので、俺は心の中で白いポロシャツの襟を立てながら、武道場へ向かったのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんのこっちゃ。

 

ダウンベスト

ずっと、モンベルのダウンベストが欲しかった。いつもなら、欲しいと思ったら、割とすぐに買っちゃうほうなんだけど、なんやかんやと買うタイミングが合わなかったのだ。人間と服との間にも、縁のようなものがあるようだ。


年末に、高松市の大型ショッピングモールに入っているモンベルで、憧れのダウンベストのMサイズを試着した。やはり、これいいな。今日こそ買っちゃうかな。と、思いながら、一緒に来ていたうちの家族と義妹の家族とみんなで、フードコートで昼御飯を食べることにした。今日は、早朝から釜揚げうどんを食べに行ってしまい、胸焼けがして食欲が全く湧かなかったので、バナナとホイップクリームのたっぷり入ったクレープを食べた。甘い物は別腹なのである。


それからしばらく、ウィンドウショッピングをしていたら、いつの間にか次男と甥っ子が迷子になってしまったので、インフォメーションへ行き、呼び出しをしてもらう。モンベルの前に来るように呼び出してもらい、到着を待っている間に、ダウンベストを掴んでレジへ向かう。思い焦がれるほどのことではないが、俺は、モンベルのダウンベストに二年くらい片思いをしてから、ようやく手に入れたことになる。次男たちとも無事に合流し、帰ってから、ネルシャツの上から着用してみる。軽くてあったかい。これ最高じゃないか。もっと早く買っとくんだったな。


さて、翌日は元日だったので、朝からお屠蘇をいただき、お雑煮を食べてから、くだらない正月番組を見ていると、なんだか具合が悪くなってきたので、義妹の家でゴロゴロさせてもらうことにした。年末の忘年会や餅つきなどで、胃腸も肝臓もお疲れ状態だ。昨日の朝うどんが重たいボディブローのように、じわじわと効いている。ボクシングなんかしたことないから、ボディブローの効き具合なんかよう知らんけど。結局、その日は昼御飯も食べずに、本を読んだり、昼寝をしたりしながら夕方まで過ごす。実はインドア派のくせに、日頃まるでアウトドア派のように振舞っている俺にとって、たまにはこんな休日の使い方をするのは、とても贅沢なことをしている気になり、嬉しくなる。それにしても、ダウンベストは最高だ。嵩張らないので、重ね着にもぴったりだし、何よりもかなり暖かい。去年、ユニクロで黒のダウンベストを買って、仕事のときに作業服の下に、よく着ていたのだけど、それとこれとはウールの詰まり具合がまったく違うぞ。いい買い物をし……あ、あれ?これVネックやん?へ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:themegane3:20190111185250j:image


実は、俺がずっと欲しかったのは、モンベルの “ 丸首 ” ダウンベストだった。慌ててモンベルのオンラインショップで調べてみると、モンベルのダウンベストには、Vネックと丸首との二種類あったようだ。そんなこと、まったく思いもしなかった俺は、ハンガーに吊るされて並んだダウンベストの中から、サイズだけを確認し、何も考えずVネックを選んで買ってしまったのだ。どうやら試着したときは、たまたま丸首を手に取っていたようだ。くそう。まじか。二日間着てたけど、返品できんかな。くそうくそう。まじかよまじか。値札切って捨ててもうたけど、返品できんのか。


出掛けていた嫁や義妹が帰ってきたので、「なあなあ、返品でけへんかなぁ?」と聞いてみるが、鼻で笑われてしまった。仕方ないので、無理やり嫁と義妹にダウンベストを着せて、売りつけようとするが、まったく興味を示してくれない。二日着ただけやで?今なら半値やで?晩御飯を食べるため、嫁の実家へ移動し、義父に着てみてもらうが、サイズがまったく合わない。前のボタンがしめられないので、こりゃダメだ。義理の母には、よく似合ったが、「丸首やったら買うけどなー。あははははー。」とあしらわれてしまう。ハァ。凹むわぁ。考えれば考えるほど、自分のやってしまったヘマに嫌気がさしてくる。Vネックと丸首と、掴む確率は50%やぞ。なんで、あのとき丸首を掴まんかったんや。そして、体調が悪かったとはいえ、二日間も全く気づかずに、鼻歌交じりにVネックのダウンベストを着ていた自分を思い出すと、情けなくなってきた。


ずっと欲しいと思っていたが、やはりモンベルの “ 丸首 ” ダウンベストと俺とは、縁がなかったようだ。

 

f:id:themegane3:20190111185304j:image

洗い餅

毎年、年末に行われる友人宅での餅つきに、今年は、なんと113人も参加したらしい。

 


何年か前、町内会で行われた餅つき大会のとき……駆り出された役員のお父さんたちが、何をしたらいいか分からずウロウロしているので、見るに見かねて、(俺は、そういう場に迷い込むと、仕切らずにはおれない病なのだ。)二つあった臼を仕切っていたら、あとで近所のマダムが、「Jさんのご主人って、ひょっとして餅つき関係の人?」とか囁いていたらしいが、餅つき関係の人ってなんやねんそれ。ひょっとして、じゃねえよ。

 


さて、今年の友人宅での餅つきでは、人も多い分、役者が揃っていたので、俺の仕切り病も発症せずに済み、最初からビールを飲みながら、粕汁やローストチキンや鹿肉の燻製などのご馳走をゆっくりと味わうことができた。何年もやってるうちに、専門用語も生まれてくる。一回目につかれる餅を「洗い餅」という。一年間、軒下に放り出されていた臼は、餅つき前に水洗いしてから使うとはいえ、やはり細部の凸凹に染み込んだ汚れまで取るのには、一回目の餅がつかれる必要がある。

 


また、餅を丸めるのは小さい子供たちの役割だ。餅つきが始まるまで、庭先で、木によじ登ったり、ドッヂボールをしたり、走り回ったりしている子供たちが、呼び集められて、餅を丸めることで、子供たちの手の汚れも洗ってくれることだろう。

 


二回目につかれる餅こそが、本物の「一番餅」と呼ばれるにふさわしいのだ。今年は、迂闊に「洗い餅」に手を出さず、しっかりと「一番餅」を味わうことができた。餅はやはり、砂糖醤油に限る。

 


これが、2018年最後の更新となります。来年も、「Joeシッタカーの加古川うわちゃー」をどうぞよろしくお願いします。

源泉掛け流しだと?

家から徒歩五分のところにスーパー銭湯がある。そんなに広くはないが、いつも混んでないし、湯質もいいので、俺の周りにも贔屓にしている友人が多い。歩いて行けるところに、良い温泉があるのは幸せなことだ。湯上りのビールが遠慮なく飲めるのだから。

f:id:themegane3:20181209173204j:image


しかしこの頃、経営が厳しくなってきたのか、湯船へ給湯するお湯の勢いが全然ない。以前は、写真のようにある程度勢いがあったのだけど、今はチョロチョロチョロ〜と薄〜っくしかお湯が流れ出てこないのだ。一応、源泉掛け流しを謳っているはずなのだけど、これじゃあ湯船に足されるお湯の量よりも、湯船に浸かっているオッサンから出てくる汗などのエキスの量の方が多いのではないかと想像してしまうではないか。

 

まるでオッサンの掛け流しだ。

窓際のコーヒー

電車の窓の桟には、紙パックのコーヒーが取り残されている。
 
混み合う新快速電車の車内に、空席を見つけた俺は近くにまだ数人の立っている人がいることを少し不思議に思いながら通路を進んだ。空席の前まで来てその理由がようやく分かった。その窓際に置かれた紙パックのコーヒーが原因だろう。
 
紙パックのコーヒーは、かつてそこに座っていたであろう人間の気配をあまりにも色濃く残していた。コーヒーは飲み干されてから置き去りにされた可能性の方が高いのだが、なぜだか電車の窓の桟に載っていると、中身が入ったままのような重々しい気配を醸し出しているのだ。迂闊に触れるとストローからビュッと中身が飛び出すかもしれない。ズボンにかかったら最悪だ。電車を降りて、駅のエスカレーターを下る俺のズボンの股間のあたりを見て、エスカレーターを上ってくる髪の長い綺麗な女性が薄ら笑うかもしれない。「違うんですよ。これはですね。窓際の紙パックのコーヒーをですね。」と説明しようとする俺に構わずエスカレーターは進み、二人は離れ離れになってしまうだろう。もう二度と出会うことのない二人は、こうして一生埋めることのできない溝を残したまま、それぞれがそれぞれの場所で生きてゆくのだ。
 
さて、普段の俺なら、その窓際にコーヒーが残された席には座らずに違う空席を探すか、または立ったままいることを選んだことだろう。しかし、その日の俺は疲れすぎていたので、そのままその席へ座らせてもらうことにした。それに周りの人たちからすれば、窓際にコーヒーが残された空席に俺が座るのを見ているのだから、俺のコーヒーでないのは一目瞭然なわけである。俺はできるだけ被害者面をして、ヤレヤレ、、、という感じで、その席に座ることにした。
 
電車のシートに深く腰を沈めた俺は、窓際のコーヒーを手の甲を使い注意深く隅っこに押しのけて、自分の視界に入らないようにした。どうやら、中身は空のようだ。俺は安堵しながら、加古川駅へ到着する時間の二分前に携帯のアラームをセットして、ヘッドフォンでエリック・サティのピアノ作品集を再生した。窓ガラスに映る俺の横顔には、移りゆく街の灯りが次々と通り過ぎて行った。
 
ふと我に帰り車内に視線を移すと、日曜日の七時過ぎということもあり、楽しかったであろう休日の陽光の余韻が、明日から始まる一週間を思う気持ちに影を作りだしているかのようだった。俺と同じ四人掛けのボックス席の向かい合わせになって座っている30代前半と思しき二人組の女性の会話も途切れがちだ。俺の向かい側に座っているスーツ姿の青年は、休日出勤だったのだろうか、スマホを片手に持ったまますっかり眠りこけている。緩めたネクタイの隙間から、弛んだ喉仏が見えた。それから軽く目を閉じた俺は、いつのまにか深い眠りに落ちてしまっていたようで、ヘッドフォンからは目覚ましのビープ音が鳴っていた。スマホを操作してから、俺は脱いでいた上着と荷物を一つにまとめ、出口へ移動するために席を立ち、通路へと出た。その時、後方から俺に声が飛んできた。
 
「忘れてますよ!」
 
窓際のコーヒーのことだと気付くまでに少し時間がかかった。周りを見てみると、いつの間にか四人掛けのボックス席の顔ぶれはすっかり入れ替わっており、必然的に俺の飲み残したコーヒーだと思われたようだ。俺は、その紙パックのコーヒーを本来持ち去るべき持ち主のことを思い、イラつきを抑えながら答えた。
 
「いや、それ私のじゃありません。」
 
そんな無責任な奴と一緒にされちゃ心外だ。言っとくが、俺は公園や道端などに落ちているゴミはなるべく拾うことにしている。しかし、電車の中では、清掃員の方がいるだろうという安心感を抱いてしまい、結果としてゴミを出した人への怒りの感情だけが湧いてしまったのだ。無責任な持ち主の唾液や手の脂などのついた忌みべき対象としか見れなくなってしまい、なるべくなら触りたくなかった。道端のゴミを拾えるなら同じじゃないのか?と思うかもしれないが、道端のゴミの場合は圧倒的に量が多すぎて一々腹を立てていたら、精神衛生上よろしくないので怒りを抑えてゴミを拾うすべを俺は身につけているのだ。まぁ、そんな大層なことではなく単純に何も考えないようにしているだけで、それよりも俺が拾わなきゃ誰が拾うのだ!みたいな使命感が優っているため、それほど苦にならないのだ。
 
 
しかし、よくよく考えてみると、そのとき電車の中でとった俺の行動は、なんて子供じみていたんだと深く反省している。もしもあのときに誰も、「忘れてますよ!」と言ってくれなかった場合、周りにいる人たちは窓際に残されたコーヒーを見てから俺の背中をギラリと睨みつけていたことだろう。まさか、被害者から加害者になってしまうとは思わなかった。そこに座ってしまったからには、自分のゴミとしてスマートに持ち去り、駅のホームのゴミ箱へ捨てるべきだったと思うのだ。俺が、疲れた身体を空席に深く沈ませることができたのは、その紙パックのコーヒーが窓際に残されていたおかげなのだ。
 
それに新快速が終着駅に着いたからといって、直ちに清掃員の方が入ってくれるとも限らない。そのまま折り返し運転をする可能性だってあるのだ。そうしたら、また同じようにイラつく人や要らぬ疑いをかけられる人が出てくるだろう。ひょっとしたら、その紙パックのコーヒーは、その日の朝から何度も姫路⇔米原間を行ったり来たりしていたかもしれないではないか。その場合、様々な人々の怨念が紙パックの中に込められていたことになる。俺さえ爽やかに捨ててやることができていれば、怨念たちはすんなりと成仏することができたはずで、その紙パックのコーヒーが後日、「実はあのとき助けてもらったコーヒーなのです。」と言って、俺のところに恩返しにやってきたかもしれない。それに、そうした俺の一連の行動を少し離れたところから見ていた可憐な色白の女性が、俺の優しさにメロメロになった可能性だってあるじゃないか。妻子ある身なので、それはそれで困るのだが悪い気はしない。いや待てよ。シルバーシートに座ってすべてを見ていた白髪の資産家のおじいさんが俺の行動に感心し、すべての財産を俺に託すと代理人を通じて申し出てくる可能性だってあったぞ。
 
 
 
なんてこった。俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。
 
 
 
こうして、自意識過剰な俺の日曜日がまた終わる。ちなみに、この日の自意識過剰メーターが最大値に振り切ったのは、窓ガラスに映る自分の横顔に、移りゆく街の灯りを重ねながらエリック・サティを聴いていた瞬間だろう。
 
 
 
 
 
 
 
おしまい。