バリカン

バサバサバサッ

 

 


新聞紙の上に前髪が落ちた。

 

 

 


え?

 

 


一瞬なにが起こったのか、分からなかった僕は、次第にその状況を飲み込んできて青くなる。


僕の右手には、6mmにセットされたバリカンがあり、頭は床に広げた新聞紙の上にもたげさせている。


そもそも、伸びすぎたアゴヒゲを整えようと、床に新聞紙を広げたのが悪かった。その同じやり方で、僕は8年間に渡り丸坊主だった頭を自分で刈ってきたものだから、新聞紙の上に屈み込んだ途端、条件反射的にバリカンを持った右手が頭部へ行ってしまったのだ。そして……

 

 

 


バサバサバサッ

 

 

 


新聞紙の上に前髪が落ちた。

 

 

 


今春から、8年ぶりに伸ばしだした僕の髪は、ようやくツーブロックにできるようにまで伸びてきたというのに、一瞬にして僕の目の前は真っ暗になった。

 

 

 

丸坊主にしている友人の岡本君に、もしも髪の毛を伸ばすときがきたら、気をつけたほうがいいぜと話すと、「んなあほな。」と一笑に付されたが、年賀状に「岡山県」と書かなければならないところを無意識に「岡本」と書いてしまったことが過去に何度もあるはずなのだ。僕もこれまでに何度、「東京都」と書こうとして、「東条」と書いてしまったことか……長年の習慣とは恐ろしいものなのである。

 

みんなも宛名書きとバリカンには気をつけよう。次は、この話を他人事と思い油断しているあなたの番かもしれない。書き損じたハガキなら5円払えば戻ってくるが、部分的に刈ってしまった前髪はなかなか元には戻らないのだから。

 

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テキ屋

「見た目はテキ屋のくせに不器用やなー。」

 

僕と鉄さんは、町内会盆踊りでの模擬店の準備をしていた。夕方までにヨーヨーを100個膨らませておかなければならないのだ。ヨーヨーとはあれだ。小さなゴム風船の中に少しの水をいれて膨らませて、その縛り口にゴムをひっかけてあるやつだ。そのゴムの端を指にかけて、ぼよんぼよ~んと手のひらで突いて遊ぶあれだ。

 

暑い夏の午前中いっぱいかけて、テントや太鼓のやぐらなどの設営の終わった会場の見張りも兼ねて、子供会の役員が二人で一時間ずつヨーヨーを膨らませることになっていた。僕らの割り振られたのは午後三時から四時の一時間、そして膨らませるヨーヨーのノルマは100個だ。

 

相方の鉄さん(仮名)とはその時、ほとんど初めて顔を合わせたのだが、入れ替わりになった役員さんと、僕も鉄さんも顔見知りだったこともあり、なんとなくお互いに自己紹介しそこねたまま鉄さんとふたりっきりの時間が始まってしまった。どちらも積極的にしゃべるタイプではないので、ゴム風船を膨らませなければならないというミッションがあるのがありがたかった。それでも、「家はどのへんですか?」とか、「子供さんは何年生ですか?」とか、興味はないんだけど、とりあえずその場しのぎ的な話題でしのぎながら、僕らはゴム風船を膨らませていった。

 

コツさえ掴んでしまえばなんてことない作業なのだけど、ゴム風船を専用のポンプで膨らませてから、口元をプラスチックの留め金で括ってしまうまでの間に、左手の力を使うので、続けているうちにだんだんと握力がなくなってくる。それでも四時までに終わらせてしまわなければならないため、結構がんばらなくてはならなかった。

 

それにしても、鉄さんはさっきから何度も何度も失敗しては、そこらへんに水をまき散らしている。横目で見ていると、どうやら最後の留め金をうまくつけられないようで、もう一息のところでぶしゅーーーーーーーとゴム風船から空気と水が抜けてしまっているのだ。僕が2~3個作る間に、鉄さんがようやくひとつ完成させられるかどうかくらいのペースだ。

 

「見た目はテキ屋のくせに不器用やなー。」

 

心の中で僕はそう突っ込んだ。鉄さんの見た目はなんだかとってもテキ屋っぽいのだ。年齢は、三十前後というところだろうか、よく焼けた肌とむっちりしたボディに茶髪が似合っている。顔は超童顔でニコニコしているのだけど、どことなく漂う雰囲気がテキ屋っぽいのだ。決して僕はテキ屋さん業界に詳しいわけではないのだけど、とにかく鉄さんはテキ屋っぽい。わかりにくい例えかもしれないが、「旅芸人の子供」+「ヤンキー」=「テキ屋っぽいと思うのだ。

 

それにしても、鉄さんはあいかわらずぶしゅーーーぶしゅーーーーーという音を次々とさせている。これでは四時までに終わらないではないかと、イライラの限界に達した僕は、鉄さんの方に向き直って、でしゃばらない程度のテンションで、「どうやってやってます?」と聞いてみた。見ていると、どうやら鉄さんは、留め金の止め方に問題があったようで、僕はうまくいくコツをさりげなく伝授した。自慢ではないが、僕はコツを飲みこむのがなんでも早く、人に教えるのもまたうまいのだ。

 

ようやく鉄さんのぶしゅーーーーも落ち着いたかに思えたのもつかの間、しばらくすると、また3~4個にひとつはぶしゅーーーーと失敗する鉄さん。

 

「見た目はテキ屋のくせに不器用やなー。」

 

という言葉を僕はぐっと飲みこんだ。さっきから何度も頭の中で突っ込んでいるのだが、僕はこの言葉を口にするのを躊躇していた。鉄さんとは、さっき初めて顔を合わせたばかりだということもあるのだが、鉄さんにはどことなく突っ込みにくい雰囲気があるのだ。もし、少しでも突っ込めそうな雰囲気があれば、お調子者でもある僕は迷うことなく突っ込んでいただろう。

 

 

 

 

 

後になって分かったことなのだが、まず鉄さんは、少し前に酔っ払って喧嘩をし、左手の指の靭帯を切って治ったばかりなので、ほとんど手に力が入らなかったらしい。

 

 

 

 

そして、鉄さんはホンマモンのテキ屋の息子だった……。

 

 

 

 

 

 

「見た目はテキ屋のくせに不器用やなー。」

 

 

 

 

 

 

あぁ、言わなくてよかった。ど突かれるところやった。

雨の日のキャンプ

 

「コラコラコラッ。汚い足を上げるなっ。」

 


テントを仕舞おうと思って車に近づいた僕は、座席の上のカバンに無造作に置かれた長男アタラの足首をむんずと掴んでそう言った。

 


天気予報の通り、キャンプ初日の夕方から降り出した雨は、夜半過ぎには土砂降りに変わり、テントや道具類は全て、跳ね上げた泥で汚れていた。二日目の今日は、朝から雨の間隙を縫いながら、みんなで雑巾で拭っては車への積み込み作業をしていたが、高校生になってから益々朝に弱くなったアタラはダラダラとして、隙あらばサボろうとするので、油断がならなかった。

 

ついさっきも、片手に水中メガネだけを持って、緩慢な動きで車に積みに行こうとするので、両手に荷物を持てるだけ持っていくように注意したところだった。

 

僕がテントを仕舞おうと車に近づいて行くと、側面のスライドドアから、アタラが上半身を無理やり後部の荷室へ突っ込んでゴソゴソしている。足は、濡れた衣服を詰めたカバンの上に置かれており、上を向いた足の裏には泥やら何やらの汚れがついていたのだ。


アタラときたら足グセが悪くって、目の前に人がいても足の裏を見せて、堂々と机に足を上げるし、靴下はそのへんに脱ぎ捨ててはいつまでも放ったらかしにするし、靴は踵を踏んで駄目にしてしまうし、すぐに裸足で駆け出すしで、とにかくその足グセの悪さにいつも僕は辟易としていたのだった。その朝も、アタラの眠たさアピールとガサツさに、僕はついついイラっとした。

 


「コラコラコラッ。汚い足を上げるなっ。」

 


そう言って僕は、むんずと掴んだ足首を持ち上げてから、自分の犯した失敗に気づいて青くなった。

 


それは、かおりさんの白くてか細い足だった。今回のキャンプには、以前から僕ら家族にキャンプへ連れて行って欲しがっていたかおりさんを連れて来ていたのだ。あいにく雨の日のキャンプになってしまったが、無邪気に楽しんでくれたかおりさんは、雨の中カッパも着ずに懸命に片付けてくれていたのであった。

 

そういえば、かおりさんもアタラもスラリと細くて長い手足というフォルムがよく似ている。しかし、似ているのは身体のフォルムだけで、かおりさんはおとなしくて、白いブラウスがとてもよく似合う……休日はいかにも図書館で過ごしていそうなタイプの女子だ。それに、よくよく見てみると、かおりさんの足の裏には葉っぱが二枚ほど張り付いていただけで、そんなに汚れていたわけではなかったのだが、哀れ足首を掴まれてしまったかおりさんは、あわわわわと声にならない声を出しながら、目を真ん丸に見開いて僕を見ていた。

 


「ご、ごめんなさいっ。」

 


と謝るかおりさんに、僕が全力で謝り返したのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

『雨の日のキャンプ』おわり

シャネルのマーク

眼のいい人には分からないだろうけど、乱視とは不便なもので、視界がぼんやりぼやけてしまうのだ。視力検査のときなんて、Cの穴が塞がってしまってどっち向きか、さっぱりわからないし、○が二重に重なって見えるので、全部シャネルのマークに見えてしまう。最近さらに乱視が進み、眼鏡をかけていても5m以内の視野に入ってこないと、人の顔も識別できなくなっていた。(ちなみに眼鏡を外したら、まるで水中にいるような感じで、ほとんど見えない。)ちょうど、眼鏡もくたびれてきて買い替えどきだったので、レンズの度数を強くしてみた。

 

いやぁ、世界ってこんなに晴れ晴れとしてたんだね。梅雨空だというのに、街中の景色が眩しくて、まるで新鮮とれたてな魚があちこちでビチビチと飛び跳ねているかのようだ。生きてるって素晴らしい。街がきれい。

 

あまりによく見えるので、家の中でも、我が妻の雑なところが目について目について仕方がない。そこらへんに靴下は脱ぎっぱなしだし、人が寝てても階上でドスドス歩き回るし、いつまでも回覧板が家に留まっているし、食卓のタクアンは底で繋がっている……はぁ、見えすぎるって、決していいことばかりじゃないのかもね。

 

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眼鏡のソムリエ

お気に入りの眼鏡に、そろそろ買い替えの時期がやって来ている。そこで四年ぶりに、高松市の眼鏡屋augen optik(元藤澤眼鏡店)へやって来た。実は十八年前から、眼鏡を買うときはここで買うと決めて通っている。

 

店内をぐるりと回りながら、二つほど手に取ってみたものの、今回はどんな眼鏡にしようというビジョンも何もないまま途方にくれていると、店員さんが静かに近づいて来た。俺は、「待ってました!」と、心の中でソッと呟く。

 

美しくレイアウトされた数ある眼鏡の中から、「これなんてどうですか?」と、次々と差し出してくる眼鏡はどれも素敵で、まるで俺にかけられることを待っていたかのように思えてくる。そして、俺の好みを知りつくしているかのようなプレゼンをしてくる店員さんは、もう眼鏡のソムリエのようだ。最終的に三つの眼鏡に絞り込み、店員さんに頼んで店の外に鏡を持ち出し、太陽光線の下で、慎重にそのフォルムや色合いを確かめる。

 

いつもなら比較的、直感だけを頼りにし、手早く買い物を済ませる俺なのだけど、なぜだか眼鏡を選ぶときだけは悩みに悩むのだ。

 

あぁ、もしもaugen optikと出会ってなければ、今頃俺は眼鏡選びのラビリンスに迷い込み、おしゃべりな白うさぎを追いかけて、体が小さくなったり大きくなったりし、動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながら、あちこちの眼鏡屋さんをウロウロするはめになっていたことだろう……って、誰が不思議の国のアリスちゃんやねんっ。

 

ごほんごほん。長いノリツッコミが決まったところでですね。もしも俺と同じように眼鏡選びに苦労している方がおられたら、ぜひ一度augen optikに、足をお運びください。とてもいい眼鏡屋さんです。

 

http://augen-optik.biz/item/

依存性

子供達も寝静まり、撮り溜めていたお笑い番組をダラダラと見ていたら、お風呂を出た妻が、バタバタと慌てた様子で、玄関から外へと出て行った。

 

毎度マンネリな、お笑い芸人のキャスティングにウトウトとしていた僕は、その音と気配に、ハッと目を覚ました。しばらくして外から帰ってきた妻がリビングのソファーに身体を沈めながら、「ハァ〜、すっきりしたぁ〜。」と言うので、「な、何があったん?」と問うた。

 

10年以上前、庭の片隅に植えたワイヤープランツが、あちこちにしつこく根を伸ばしていて、それらをプチプチ引っこ抜くのが気持ちよすぎると言うのだ。妻は、朝に昼に、そして夜にそれらを見つけだしては、繋がった根っこをプチプチ引っこ抜く依存症になってしまっていたのだった。

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、そんなワイヤープランツの根っこをプチプチ引っこ抜く気持ち良さに、かなり近い快感が得られるのが、このmusashi社の開発した “ 除草バイブレーター ” なのです!!一度使い出したら、きっとあなたは、庭の雑草抜きをやめられなくなることでしょう。しかし、ご心配なく!電気式ですので、真夜中でもご近所様に迷惑になることなく、その快感に打ちひしがれることができるのです!!

 

 

 

 

……え?ワイヤープランツの根っこの抜き心地が、イマイチわからん?

 

 

 

 

そ、そんなもんワシも知らんがなっ!!

 

 

快感の除草機 除草バイブレーター(WE-700) - YouTube

合気道の木

私は、合気道の木を登っている。何十人もの大人たちが両手を広げ繋がって、ようやく一周できるくらいに太い太いその木の幹には、どこにも手がかりがなく、最初は登るためにどこへ手や足をかければいいいのか、まるで分らなかった。見上げてみると、複雑に絡み合う枝と生い茂る葉で、果たして私に登ることができるのだろうか?と不安になったが、繰り返し登る練習をしているうちに、だんだんコツをつかんできて、ある程度までは登ることができるようになってくる。何せ、登り方は師が丁寧に教えてくれるのだ。ほどほどに慣れてくると、木の幹から枝分かれして伸びていっている枝の方へ登っていくように師から促される。そこでは肩に力が入りすぎて、どうしても登れなくなってしまったり、力を入れて握ると、枝がポキッと折れてしまったりするが、いつも師は枝の先の方にいて、我慢強く私を導いてくれる。驚いたことに、この木の枝は、どこまでもどこまでも伸びていて、終わりがないのだ。いや、終わりがないというより、枝は今この瞬間も先へ先へと成長し続けているようだ。無我夢中で登っていくと、いつの間にかそこに師はいなくなっている。キョロキョロと見回してみると、(飛び移りでもしたのだろうか、)師はすでに違う枝に移っていて、「こっちへ来なさい。」と、葉と葉の隙間からニコニコ笑いかけているのだ。私は、枝から足を踏み外さないように、ゆっくりと幹の部分まで降りてから、師の登っている枝に足をかける。今度の枝は、やたら樹皮がツルツルしていて、なかなか登ることができない。しかし、見ていると師はこともなげにするすると登っていく。結局私は、その枝にまったく登ることができないままだったが、またいつの間にか、次の枝に移っている師の呼ぶ声が上の方からする。「今度は、こっちだよ。」私は、半分ホッとしながらついていこうとするが、今度の枝には棘があり、注意して登らないとならないので、やたらと時間がかかってしまう。一息ついて、頭上を見上げてみると、気が遠くなるほどに枝は続いているようで、覆い尽くされた葉で先の方までは見えない。下を見てみると、すぐそこに地面があり、思っていたほど登ってきていないことが分かり、気が遠くなると同時にひとつ武者震いをする。そして、またいつものように私の目線の先に師はいなくなっている。しばらく師を探すが、見つけられないでいると、後から登ってきた人が枝にしがみついたまま動けずにいたので、手を貸しながら一緒に登っていく。気づくと、先ほど登ることができなかったツルツルした枝のところにやってきたので、試しに登ってみる。よく見てみると、枝には蔦が絡んでいるのに気づき、それを使いながら登っていくが、いつの間にか蔦がなくなってしまう。どうしようもなくなってしまったので、落ちないように枝にとどまっていると、目の前に師の足が見えた。師が、「目を閉じて登りなさい。」と言うので、思い切って目をつぶり枝を登ると、不思議と足元が安定し登っていくことができた。急に、「さぁ、ご覧なさい。」と師が言うので、目を上げてみると、枝の間から、これまでに見たことのないほどに美しい景色が広がっていた。そして、またしばらくすると、師は隣りの枝に移っていて、するすると枝を登っていく。私は思い切って、枝から枝に飛び移り、師の後をついていく。その枝の向こうに広がる新しい景色を見るために・・・。