思い出のカセットテープ

この頃、カセットテープが流行りなのか?僕の好きなアーティストが続けて、カセットテープで作品を発表した。実は僕は、カセットテープには、特別な思い入れがあるので、これは黙ってられない!と、こうしてペンをとったわけなのです。

 

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恥ずかしながら僕は二十代前半の3年ほど、京都でバンドマンをやっていたのだけど、実はそのすべてのきっかけはカセットテープだったのだ。普通、若者がバンドを始めるきっかけは「カッコよくギターを弾いてモテたい。」とか「俺、歌超上手い!ボーカル以外全パート募集!モテたい!」とか「友達に誘われてベースを始めました。できれば俺もモテたい。」などという軽薄な動機が多いと思う。しかし、僕の場合まったく違うのだ……。

 


当時(約20年前)大学を出たばかりの僕は、趣味でギターは弾いていたので、コードはいくつか押さえることはできた。でも学生時代はバンドなんて組んでなかったし、もちろん曲も作ったことなんてなかった。そうして大学卒業後、「失恋した男は片っ端から北へ向かう症候群」によりフェリーで渡った北海道での酪農業手伝いを辞めて、地元へ帰ってきた頃だったろうか。たまたま入った楽器店で、「カセットテープのMTR」なる物を見つけたのだ。「MTR」とは、「マルチトラックレコーディング」の略で、すなわち多重録音のできる機材のことなのです。なんと市販のカセットテープを使って4トラックまでの重ね録りができるのだ。

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例えば、トラック①にドラム。トラック②にベース。そしてトラック③にギターを撮ってから、トラック④にボーカルを録るというようなことができるのだ。(実際には4トラックだけじゃ足りないので、トラック①~③をトラック④にまとめておいてから、再び空いたトラック①~③に録音するということを繰り返すことで、無限に音を重ねられる。まぁ、重ねれば重ねるほど音質は悪くなるので、そう何度もやらないけど。)

 

僕がたまたま入った楽器店で見つけた、そのMTRはとってもキラキラしていた。としか言いようがない。だって、当時の僕はMTRになんてまったく用がないのだから。しかし、そのMTRにはカラフルなツマミやらスイッチやらがたくさんついていて、たいそう魅力的に見えたのだ。店員さんに、どうやって使う物なのか簡単に教えてもらったのだが、その可能性は無限大で、まるで夢の機械に思えた。


そのMTRは、僕のことをジッと待っていたような気がした。うん。だって目が合ったのだ。一目ぼれってやつ?しかも両思い。値段も3万円くらいだったと思う。僕は、手取り10万円ぽっちでひたすら過酷な労働を強いられた牧場で貯めたお金の一部を使って、そのMTRを買った。

 


そのMTRの取説を読みながら、僕が恐る恐る最初に作った曲が、「浮浪もじゃのテーマ」というインストゥルメンタル曲である。

 

当時、リスペクトしていた漫画『浮浪雲』(ジョージ秋山・著)

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と、 『バカドリル comics』(天久聖一タナカカツキ・共著)に登場する “ モジャ先生 ”

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 を掛け合わせ “ 浮浪もじゃ ” というユニット名にした。

 

大学時代の友人のサヤカちゃんにキーボードを弾いてもらって作ったアルバム「浮浪もじゃの『浮浪もじゃいっかぁ』」は、一曲目にこの素人臭丸出しのどうしょうもない出来のオリジナル曲(「浮浪もじゃのテーマ」)を据え、残りはサニーデイサービスやfishmansやSPECIALSのカバーで埋めるという超若気の至り的なアルバム作りを成し遂げた。今なら、そんな選曲はしない。いや、恐れ多くてできないだろうな。

 

北海道の牧場の親方によって、「若造が酪農舐めんなよな。」とトコトンまで苛め抜かれ、冬の寒さと過労から、ついには椎間板ヘルニアになり、挫折し、萎れた気持ちで本州へ戻ってきていた僕は、抑圧された感情やら情熱やらを解放し、堰を切ったようにたくさんの曲を作っていった。主に双子の兄が詞を書き、その詞に僕が曲をつけた。

 

“ 浮浪もじゃ ” の次に、僕が双子の兄と組んだバンドは “ メガネメガネ ” と名付け、『ヒネモス』、『エメロン』の二枚のアルバムを立て続けに作った。

 

“ メガネメガネ ” というバンド名は、もちろんヤッさんこと横山やすしのネタから付けた。特別な意味は何もない。

 

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僕らは活動の本拠地を京都に移した。その頃、既に京都でバンドマンをやっていたYを頼って、僕らは京都へ移り住んだのだった。僕らとYは小中学校の同級生で、Yはドラマーだった。僕がギターで、双子の兄がベース&ボーカルという編成のスリーピースバンドだ。バンドに対する憧れは強くとも、経験も技術も低い僕らに対して、Yはひたすら、「グルーヴ」を求めた。僕はMTRを使って、しっかりとチマチマと音作りをしたかったが、Yは「セッション」や「パッション」を重視した。はっきり言って苦痛以外のなにものでもなかった。何度か三人で一緒にスタジオに入ったが、ある日双子の兄が僕にこう言った。

 

「俺がドラムやるわ。」

 

Yと決別したい双子の兄の果肉の策だったが、今思えば、この時がやっと見つからなくて、ずっと探していた僕らのメガネを見つけた瞬間だったんだなと思う。僕らは二人で、好きなだけ曲を作り、好きなだけレコーディングをした。カセットテープのMTRが、僕らの味方だった。

 

その後、大阪に住んでいたサヤカちゃん(ex.浮浪もじゃ)の妹のマキちゃんにキーボード&ボーカルで参加してもらい、『フレーム』、『日本のメガネ』、『世界のメガネ』、『宇宙のメガネ』、『ファーストキス』の五枚のカセットテープアルバムを作って、タワーレコード京都店や心斎橋店で販売してもらったりした。後期には、メンバーそれぞれが作詞作曲を行うようになっていたので、たくさんの曲が生まれ、四畳半のアパートの部屋でレコーディングされた。またアルバムを聴いた人々からファンレターを頂いたり、S◯NYMUSICさんから声がかかったりしたが、残念ながら1999年に解散してしまった。同じ時期には大好きなバンド、fishmans佐藤伸治も死んでしまい、僕の青春は完全に終わってしまったのだった。

 

 

というわけで、いわばカセットテープは僕の青春そのものなのだ。1999年のメガネメガネの解散から、まったくそのときの音源は聴いてなかったのだけど……その間、世の流れはみなさんご存知の通りカセットテープから、MDやCDになり、はたまたものすごい勢いでmp3やyoutubeにその座を奪われてしまったわけで……それがここへ来て、まさかのカセットテープの復活に心躍り、思わず懐かしのテープのアルバムたちを(さすがに初期の作品は、おそろしくて聴けなかったけど……)引っ張り出してきて聴きましたよ。

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 いやぁ名曲だらけだったわ。

 

 

 

 

 

 

僕らの青春時代がそのままパッケージされてたね。ぶわっ!て蘇ったわ映像が、ぶわっ!!て!!二十年前の当時の僕の住まいでもあり、レコーディングスタジオでもあった京都の小次郎荘の埃っぽい廊下や機材や楽器だらけの狭く汚い部屋を思い出しましたよ。

 

 

 

 

 

 

 さて、それでは多くの懐かしい音源の中から、僕が生まれて初めて作った曲を聴いていただきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

浮浪もじゃで「浮浪もじゃのテーマ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、そんなもん公開できるかーーーい!!

 

 

 

 

 

 

 

 



というわけで僕は、「カッコよくギターを弾いてモテたい。」とか「俺、歌超上手い!ボーカル以外全パート募集!モテたい!」とか「友達に誘われてベースを始めました。できれば俺もモテたい。」などというような不純な動機からではなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

MTRで重ね録りしたい。これはモテるはず。」

 

 

 

 

 

 

 

という動機でバンド活動を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでモテなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

魚突きと、あるピンチについて

水中で圧倒的に自由に動ける魚を、人間がヤスを片手に追いかけるという行為は、魚にとってのアドバンテージが大き過ぎる。水中で圧倒的に不自由な人間は、水中で魚を見つけたら、迷う間もなくすばやく、ヤスを放たなければならない。しかし、あいつらときたら人間の姿を見たら、すぐさま逃げるものだから、魚のいた場所にヤスを放っていたのでは、まったく箸にも棒にもかからないのだ。いや、この場合、ヤスにも棒にもかからないと言ったほうがいいだろう。とにかく、魚の逃げる方向を予測してヤスを放つ必要があるのだ。

 

そこで、膝よりも浅いところを選んで、魚突きを行う。浅ければ、魚の左右の動きを読んでればいいからだ。これが水深の深いところに行くと、左右にプラス上下の動きも加わってくるため、俺のような初心者には、まったくもって手に負えなくなる。

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さて、そんな浅いところを漁場とし、ときに浮かんで流れに乗り、ときにオオサンショウウオのように這いずった状態で、行ったり来たりしているので、岩に膝や肘や身体のあちこちをぶつけ、擦り付け、終わってみると傷だらけになっていることが多い。魚を追っかけてるときは夢中になってるため、けっこう強引に突っ込んだりする。そして、ここからが本題なのだが、こないだ行った東吉野での魚突きで、ホクロを負傷した。な、な、なんと俺のホクロが取れかけているのだ。俺の左乳首の下には大きめのホクロがある。直径約4mmで立体的でセクシーなタイプの奴だ。アンダーホクロとトップホクロの差が約2.5mmある。それが取れかけていることに、帰ってきてから気づいたのだ。そういえば川に入っているとき、胸に鋭い痛みを感じた。そのときは何かに刺されたのかな?と思って、そんなに気にしてなかったんだけど、それからもずっとジクジクと痛んでいた。痛む辺りを見てみると、ホクロの周りに血が滲んでいる。は、半分浮いてる!?どうやら、岩でホクロを擦って剥がれかけになってしまったようなのだ。ラッシュガードを着てたんだけど、川の流れが強かったので、けっこう派手にゴリゴリと岩に身体を擦ったのよね。取れかけたホクロには、とりあえずバンソーコーを貼ってるんですが……

 

 


Q.1 これどうすればいいのでしょうか?


①医者へ行く


② 見て見ぬ振りをする


③ いっそ思い切って自分で取ってしまう

 

 


【上の質問で①「医者へ行く」と答えた人だけお答えください。】


Q.2 いったい何科を受診すればいいのでしょうか?


①皮膚科


②外科


③美容整形外科

 

 


【Q.1で②「見て見ぬ振りをする 」と答えた人だけお答えください。】


Q.3 いつまでそうやって、人生において見て見ぬ振りを続けるつもりですか?そんなだらしなくて不甲斐ないあなたの過去に実際に行った見て見ぬ振りをできるだけ詳しく取り上げて、そのときの気持ちと、今後の具体的な対策について記入してください。(1,600~2,000文字程度)

 

 


【Q.1で③「いっそ思い切って自分で取ってしまう 」と答えた人だけお答えください。】


Q.4 いつでもそうやって強引に物事を決めてしまって、いつもいつもうまくいくとお思いですか?ていうか、あんたどうせ他人事と思ってるんでしょ?

 

 

 

 

自分の身になって考えてみてみ?

 

 

 

 

 

な?

 

 

 

 

 

 

 

自分勝手やん?

 

 

 

 

 

 

 

明日までに、反省文を提出してください。(1,600~2,000文字程度)

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。フン。

 

夏のシッポ

ようやく涼しくなってきましたが、そうなるとこれはこれで、行ってしまおうとする夏に未練を感じたりするわけです。そんな夏のシッポをしつこく追いかけて、再び奈良県の東吉野へアユ突きに行ってきました。ハリキッて行ったものの、こないだに比べて水量が多く流れは強いし、水温は低いし、何よりも肝心のアユの量は激減しているし……まったく違う条件が俺らを待ち受けていました。そもそも、八月末になると網漁が解禁されるため、それまで釣られずにいたアユがどんどん追い込まれ、あらかたが取られてしまっているのです。ざっと五分の一の数になっていたでしょうか。つまり今、生き残っているのは、相当すばしっこい奴らばかり……オンリーワンよりもナンバーワンな奴らばかりなのです。しかもですよ、強い流れに身体を押し流されながら、アユを狙わなければならないのですから、これはなかなかの至難の業なのですよ。水量が二倍で、アユの数が五分の一ということは、前回に比べて十倍の難しさということ。そこに更に、アユの優秀点と川の水圧点が加算されるわけですから、難しさは二十倍、いや三十倍といってもいいでしょう。そこんところをよーく分かった上で聴いてください。結果発表です。今回は、アユを一匹とウグイを二匹しか突けませんでした。二週間前に、アユ六匹とアマゴ一匹を突いたときのような手応えは、どこにも残っていませんでした。しかし、俺の魚突きの師匠ですらアユ一匹だけでしたので、これは決して悪くない結果なのではないでしょうか。

 

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いや、師匠には、突いたアユの数で引き分け。突いた魚の総数では勝っちゃったのよね。ふはははは。一緒に行った大阪のJDの慧ちゃんの前で、ええ格好もできたしな。ぬははははー。

 

 

よーし!夏よ!終わってよしっ!!終了!!解散!!!

 

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息子からの挑戦状

8月の終わりに、ランバージャックスの川遊びイベントがあり、東吉野村の高見川で解禁された鮎突きに家族で行ってきた。

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 ランバージャックスに加入してから、岡本兄弟に教わって、ここ4年間は毎夏、中辺路や夢前などの川で、ヤスを使った魚取りにチャレンジしてきたが、どうにもこうにもうまく行かず、俺には川底でチョロチョロしている鈍臭い魚しか突くことができなかった。夜のキャンプ地での焚き火を囲んだ宴会では、いつもおこぼれに預かり、肩身の狭い思いをしてきた俺だった。「これ俺の突いた鮎やのに!」なんて誰も言わないのだが、俺がいなけりゃ、あいつらもっと食えたはずなのに悪いなぁ。と思いながら、鮎の塩焼きをボソボソと食べていた。こう呟きながら……チキショウ旨えな。自分で突きてえな。

 


でもね。だってね、鮎の素早さったら他の魚に比べても群を抜いていてだね、おまけに自由の利かない水中では、どう考えても鮎を出し抜ける気がしないのよ。しかし、岡本兄弟ときたら、見ているとやんなっちゃうほどの芸術的なヤスさばきで、次々と鮎を仕留めていく……そりゃまぁ、20年以上やってるんだからそのヤスさばきったら職人級なのだ。しょせん俺には無理無理と諦めていた。

 


と・こ・ろ・が・だ。

 

 

ここんところメキメキと力をつけてきた息子のアラタによって、俺の心中は穏やかではなかった。去年、東吉野村へ行ったときに、俺が一匹も仕留められない中、息子のアラタが鮎を3匹も突いたのだ。それからというもの、ことあるごとに、東吉野へ連れて行ってくれと頼まれ、今回のランバージャックス川遊びイベントときたもんだから、アラタの奴ときたら俺に、真正面から挑戦状を突きつけてきやがった。


「パパー!勝負しよっ!!どっちが鮎いっぱい突けるかで勝負しよっ!!鮎の数で勝負のことな!他の魚はアカンで!!」


アラタは中3にもなって、俺のことをまだ「パパ」と、恥ずかしげもなく呼んでくる。もちろん、母親のことは「ママ」と呼んでいる。学校から帰ってきて、玄関の扉を開けるなり、「ママ〜〜ッ!!」と叫び、下校時に見つけたでっかい蛇のことや、担任の先生の不条理さや、その日のオヤツの有無などについて一気にしゃべる。そんなアラタの顔は、ようやく叶った東吉野行きを前にし、期待と自信で満ち溢れていた。3年間続けた剣道部では、ついにレギュラーになれなかったが、部員たちの心の応援団長として、頑張ったようだ。実は、そろそろ身長も追い越されそうだ。いつまで、こうして一緒にいられることだろう。自立心の高いアラタは、巣立ちたくてウズウズしているように見えることがある。先日も、進路志望書を親に何の相談もなく、県外の高校名を書いていた。しかも、保護者名欄には、ちょっと濃い目のボールペンを使い、筆跡を変えて書き、判子まで手作りして押していた。(ただ、あっという間にバレて、即刻先生から家に電話があったのだが。)

 

 

すぐ調子にのるアラタに対しては普段、何かにつけて頭を押さえつけてやってるのだが、鮎突きなら俺に勝てると踏んだのだろう。俺は正直、気が乗らなかったが、男として、父親として、勝負を断ることはできない。

 

同時に心の中では、負けた時の言い訳を考えている俺がいた。


「首がまだ痛いからな。」


春先に痛めた俺の首は、まだ万全ではなく、少し無理をするとシツコク痛みが振り返してきた。バイクにも3ヶ月以上乗っていない。一時は引退も考えたが、最近ようやく復活の目処が立ってきたばかりだ。ここで無理をして、また元の木阿弥になることだけは避けたかった。夢中になると、ついつい無理をしてしまい、挙句に身体を壊してしまうことが多い俺にとっては、ちょうどいいかもしれない。勝ち負けには拘らず、ここはアラタに華をもたせてやるとするか。そして、よくやったと褒めてやろう。

 

 

 


そうして、いよいよやって来た東吉野では、ことあるごとにアラタが、イキってきた。表面上は、「負けへんでー!」と俺もイキがっていたが、まぁ負けてしまうんだろうなぁと思っていた。少し寂しい気もするが、こどもはいつか、父親を越えて行くものなのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


6対3だった。

 

 

 

 

 

 

 


勝ったのだ俺が!3年間、まったく鳴かず飛ばずだったこの俺がなんと、鮎を6匹も突くことができたのだ!!おまけにアマゴも1匹突いたな。これを快挙と言わずして何と言おう!?そう。俺は開眼してしまった。俺の手から放たれたヤスは水中を切り裂き、まっすぐと鮎を射止めたのだ。ヤスを通じて、手のひらに伝わってくる鮎の暴れる振動で、俺の脳みそにはドーパミンが溢れる。鮎を!もっと鮎を!!川の冷たさで、唇が紫になり、奥歯がガチガチと音を鳴らしても、取り憑かれたように川へ入る。ついに俺は、職人の領域に足を踏み入れてしまったのだ。はっはっはっはっー。親父に勝とうなんて、100年はハワイアン。ざまあミクロネシアン。

 

アラタは悔しそうに、道具が悪かっただの、寒すぎただのとモゴモゴと言い訳をしていた。俺は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男が言い訳をするんじゃない(怒)」

 

 

 

 


そうして、今年は気兼ねなく堂々と鮎の塩焼きを食べることができた俺であった。旨かったなぁ鮎、ガツガツと。呑んだなぁビール、ぐびくびと。

 

ただね、ひとつだけ問題があるとすれば……く、首が痛いんだよねぇ。ははーはははのはー(泣)

 

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宣誓

肉体労働系プータローを辞めてサラリーマンになった1999年頃からおよそ15年間、ほとんどの休日を室内でおとなしく過ごしてきた。(もっぱらの趣味は読書と映画鑑賞でした。)そのくせに、3年ほど前から、ええ年こいてダートバイクや合気道林業やその他なんやかんやを始め、休日には身体をフル稼働させてきたもんだから、ついに無理がたたって首を痛めてしまいました。以前から首が弱点だったのだけど、今回は本格的にこじらせてしまったようで、なかなか完治しないのよね。(と、歳のせいなのか?)

一番タチが悪いのは、「サボったり、ほどほどにすることができない」という自分の性分なんですね。目の前に、おもしろそうなことや、やらなければならないことがあると、がむしゃらにやってしまう。イラチな上に、根が真面目なもんだからしかたがないのだけど……挙句、首に疲れが溜まって爆発してしまうのです。

痛めた首は、いっときに比べたらだいぶ良くなり、ようやく動けるようになってきたんだけど、やっぱり気づいたら無理してしまう。先週も合気道の稽古を見学するつもりだったのに、フル参加してしまった。(見てるだけなんてできないのよ。)しかしね、これでは首の回復が、三歩進んで四歩下がってる状態なのですよ。

そこで、今後は「目いっぱい」をやめることにします。ゆっくりします。休みます。思い存分、力を発揮せず、正々堂々とサボることをここに誓うのです。そんな俺を見つけても、そっとしておいてください。

そして、もしも我を忘れて前のめりになっている俺を見かけた時には、襟首をつかんで注意してください。いや、やっぱり襟首をガッとひっぱられると首にくるので、やめてください。迷惑です。ゆっくり肩に手を置いてから、優しく微笑んでくださいね。

 

合気道関係の皆様へ】

 

首を庇って、満足に受身がとれないので、「受け」はしばらくやめときたいと思ってます。稽古中「取り」だけをするってのは、ずっとバッターボックスに入ってバットを離さない奴みたいで、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、ご理解とご協力の程よろしくお願いします。

ゾロ目について

ある市営体育館のロビーで合気道の稽古が始まるまでに時間があったので、たまたま会員証の出席表スタンプを数えてみたら、99個押してあった。てことは今日で、お稽古100回目ってことだ。100回目だからって、別になんてことはないのだが、なんだかこういうのはうれしいじゃないか。

それにしても、これまで会員証のスタンプの数なんて、一度も数えたことなんてないのに、こんな日に限ってというか、こんな日だからこそ数えたのだろうか。きっとこれはあれだ。会員証のゾロ目が俺のこと呼んだんだな。昔、読んだ本に書いてたぞ。「ゾロ目は人を呼ぶ。」ってな。例えば、デジタル時計を何気なく見たら、「3:33」だった経験ないかな?俺は、真夜中に目が覚めて、時計を見たら「3:33」や「4:44」だったってことが何度かある。こういった現象は、「時計のゾロ目が人を呼んでいる」のだそうだ。

「おーい見てくれー!今おれゾロ目やねんぞー!!」という念を受けて、ゾロ目を目撃している。ような気が、ときどき本当にするから不思議だ。

しかしこの頃、デジタル時計が少なくなっているので、ゾロ目を見る機会がめっきり減ってしまったような気もする。残念ながら、アナログ時計で3時33分を見てもまったくテンションが上がらないばかりか、ゾロ目という気はまったくしない。やっぱりゾロ目といえば、デジタル時計だ。

ゾロ目を見る機会が減っているのは、きっとデジタル時計のゾロ目たちの組織力が弱まっているからに違いない。そこで考えたデジタル時計のゾロ目たちは、きっと世の中の会員証のゾロ目たちにも協力を呼びかけたのだろう。

「おーい!おれ今、ゾロ目やねんでーっ!見て見てーっ!!」

と、会員証のゾロ目に呼ばれた俺は、稽古数が99回だったということに気づくことができたのだ。教えてくれてありがとう。

祝、稽古100回。お次は稽古111回目の時にも呼んでね。

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イライラについて

タカシはイライラしていた。




なぜなら、この頃やっといくつかの技を覚えられるようになってきて、合気道の楽しさが分かってきたというのに、同期のKが毎週のようにいろんな知り合いを連れてくるのだ。見学者が来るたびに基礎練習に割く時間が増えて、技の稽古に割く時間が減っていた。

しかもだ。見学に来ただれもが入会するわけではなく、二度と顔を見ないことだって少なくなかった。「もっと技を覚えたいのに!」と、道場にいる誰もが感じているに違いないと、タカシの内心は穏やかではなかった。

その日も新しい見学者があり、ようやく技稽古に入ったかと思うと、足の捌き方がわからない人が続出し、タカシがせっかくコツをつかみかけていた ”四方投げ ” までたどり着くことができなかった。

稽古が終わり、開祖である植芝盛平先生の写真に全員で向かって礼をし、振り返った我が師の篠原先生に向かって再度全員で礼をする。続いて道場の真ん中で円を作ってお互いに礼をするのが、毎回の締めくくりであった。円を作り、最後の礼をしようとしたその時、いつも優しい篠原先生が大きな声を出した。





「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください! 」





普段は、注意深く聞いていないと篠原先生の声は聞き損じてしまうくらいの声量なので、これは相当怒っているのだろう。確かにその時の円は、お互いの間隔だってマチマチで全体的にぐにゃりと曲がってしまっていた。タカシは、心の中でこう思っていた。







「ほれみろ。Kが次々といろんなの連れてくるから先生だってイライラしてるじゃないか。」





しかし、それは技に溺れていたタカシの浅はかな考えだったことに気付いたのは、つい最近になってからのことだ。



合気道の稽古では、たくさんの技を覚えなければならない。最初のうちは、何が何のことだかさっぱりわからない。初めての技は、何が正解かわからず頭の中はクエスチョンマークだらけになる。しかし、先生や先輩に教えてもらいながら、何度も繰り返しているうちに、身体が覚えて、頭で考えずにサクッと動けるようになる瞬間がやってくる。その時はまるで、脳みそがパッカーンと開いたような感覚に襲われる。しかしだ。「出来た!」と思うのはその時だけで、じきにまったく自分が出来ていないことに気づいてしまうのが合気道の奥の深さである。なんせ篠原先生ですら自分で満足できる技をかけたことがないとおっしゃっていることからも、合気道の技をモノにするするのはそんなに簡単なことじゃないというのが、わかってもらえるだろう。

稽古中は、ひたすら徹底的に技の完成度を上げることを
目指すのに、「技なんてどうだっていい。」とは、矛盾しているではないか?と、考えたタカシは、単純に篠原先生がイライラして大きな声を出したのだと勘違いしたのだ。今となっては、ホントにタカシは馬鹿だ。優しくて、合気道が大好きな篠原先生は、そんなことでイライラなんてしない。するはずがない。

篠原先生は、技に溺れたタカシに向って声を大にして言ったのだ。きっと過去には、イラつくタカシを見て居心地が悪くなり、稽古に来なくなってしまった見学者もいたに違いない。タカシは全然分かっていなかった。

反省したこの頃のタカシは、新しくやって来て、なかなか技が覚えられずに居心地悪そうにしている人が、楽しそうに合気道ができるように気を配ること。そして、(昔のタカシのように)技に溺れて周りが見えてない人から、我が消えるように、言葉や態度で示してみたりすることにしている。

タカシが、何よりも稽古の中で一番大切にしようと心がけているのは、稽古相手と向かい合って礼を交わすときに、しっかりと相手の目を見てから、心の底から気持ちを込めて「お願いします。」と言うことだ。そして、最後に同じように「ありがとうございました。」と言うことだ。

稽古の中では、①先生がまず道場生のひとりを指名し、②みんなの前で解説を加えながら手本を示し、③それを2〜3人ずつの組みに分かれてから、④お互いに礼を交わし、④それぞれが技をやってみる。ということをやる。ある程度の時間をその技の稽古に割いたら先生が、⑤「ハイそれまで!」と言い、⑥またお互いに礼を交わしてから、①の過程に戻り、別の技をやる。ということを何度もやる。

この④と⑥の「お互いに礼を交わす」時に、相手の目も見ずにそそくさと適当にやってしまうことは、自分でしっかりと気をつけていないとついついやってしまうのだ。2人一組ならともかく、時には4〜5人で組む場合もある。そうすると、礼を交わすのがおざなりになってしまうのだ。それに、目を合わせて心を合わせるなんて、なんか照れ臭いじゃないか……しかし、





「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください!」


これが、篠原先生の主催する “ ささの葉合気会 ” の目指している合気道だという話でした。ご興味の湧いた方は、ぜひ一度見学に来てください。タカシが温かくもてなします。





さて、タカシは見た目のマイルドさに反して、ギスギスしたり、角を立てたり、毒づいたりすることがあり、時には非情とも言われることがあるのだが、合気道の本当の楽しさが分かってきた今日この頃、これまでこだわってイラついてきたなんやかんやが、だんだんどうでも良くなってきた。



なんていう話を友人(悪友)にしたら……



「おいおい、どうした?タカシの持ち味がなくなってるやん。合気道やめたほうがええんとちがうか?」



と、言われた。いつも何かにイライラして怒っているのがタカシなのだそうだ。













うーむむむ。





おしまい。