息子からの挑戦状

8月の終わりに、ランバージャックスの川遊びイベントがあり、東吉野村の高見川で解禁された鮎突きに家族で行ってきた。

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 ランバージャックスに加入してから、岡本兄弟に教わって、ここ4年間は毎夏、中辺路や夢前などの川で、ヤスを使った魚取りにチャレンジしてきたが、どうにもこうにもうまく行かず、俺には川底でチョロチョロしている鈍臭い魚しか突くことができなかった。夜のキャンプ地での焚き火を囲んだ宴会では、いつもおこぼれに預かり、肩身の狭い思いをしてきた俺だった。「これ俺の突いた鮎やのに!」なんて誰も言わないのだが、俺がいなけりゃ、あいつらもっと食えたはずなのに悪いなぁ。と思いながら、鮎の塩焼きをボソボソと食べていた。こう呟きながら……チキショウ旨えな。自分で突きてえな。

 


でもね。だってね、鮎の素早さったら他の魚に比べても群を抜いていてだね、おまけに自由の利かない水中では、どう考えても鮎を出し抜ける気がしないのよ。しかし、岡本兄弟ときたら、見ているとやんなっちゃうほどの芸術的なヤスさばきで、次々と鮎を仕留めていく……そりゃまぁ、20年以上やってるんだからそのヤスさばきったら職人級なのだ。しょせん俺には無理無理と諦めていた。

 


と・こ・ろ・が・だ。

 

 

ここんところメキメキと力をつけてきた息子のアラタによって、俺の心中は穏やかではなかった。去年、東吉野村へ行ったときに、俺が一匹も仕留められない中、息子のアラタが鮎を3匹も突いたのだ。それからというもの、ことあるごとに、東吉野へ連れて行ってくれと頼まれ、今回のランバージャックス川遊びイベントときたもんだから、アラタの奴ときたら俺に、真正面から挑戦状を突きつけてきやがった。


「パパー!勝負しよっ!!どっちが鮎いっぱい突けるかで勝負しよっ!!鮎の数で勝負のことな!他の魚はアカンで!!」


アラタは中3にもなって、俺のことをまだ「パパ」と、恥ずかしげもなく呼んでくる。もちろん、母親のことは「ママ」と呼んでいる。学校から帰ってきて、玄関の扉を開けるなり、「ママ〜〜ッ!!」と叫び、下校時に見つけたでっかい蛇のことや、担任の先生の不条理さや、その日のオヤツの有無などについて一気にしゃべる。そんなアラタの顔は、ようやく叶った東吉野行きを前にし、期待と自信で満ち溢れていた。3年間続けた剣道部では、ついにレギュラーになれなかったが、部員たちの心の応援団長として、頑張ったようだ。実は、そろそろ身長も追い越されそうだ。いつまで、こうして一緒にいられることだろう。自立心の高いアラタは、巣立ちたくてウズウズしているように見えることがある。先日も、進路志望書を親に何の相談もなく、県外の高校名を書いていた。しかも、保護者名欄には、ちょっと濃い目のボールペンを使い、筆跡を変えて書き、判子まで手作りして押していた。(ただ、あっという間にバレて、即刻先生から家に電話があったのだが。)

 

 

すぐ調子にのるアラタに対しては普段、何かにつけて頭を押さえつけてやってるのだが、鮎突きなら俺に勝てると踏んだのだろう。俺は正直、気が乗らなかったが、男として、父親として、勝負を断ることはできない。

 

同時に心の中では、負けた時の言い訳を考えている俺がいた。


「首がまだ痛いからな。」


春先に痛めた俺の首は、まだ万全ではなく、少し無理をするとシツコク痛みが振り返してきた。バイクにも3ヶ月以上乗っていない。一時は引退も考えたが、最近ようやく復活の目処が立ってきたばかりだ。ここで無理をして、また元の木阿弥になることだけは避けたかった。夢中になると、ついつい無理をしてしまい、挙句に身体を壊してしまうことが多い俺にとっては、ちょうどいいかもしれない。勝ち負けには拘らず、ここはアラタに華をもたせてやるとするか。そして、よくやったと褒めてやろう。

 

 

 


そうして、いよいよやって来た東吉野では、ことあるごとにアラタが、イキってきた。表面上は、「負けへんでー!」と俺もイキがっていたが、まぁ負けてしまうんだろうなぁと思っていた。少し寂しい気もするが、こどもはいつか、父親を越えて行くものなのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


6対3だった。

 

 

 

 

 

 

 


勝ったのだ俺が!3年間、まったく鳴かず飛ばずだったこの俺がなんと、鮎を6匹も突くことができたのだ!!おまけにアマゴも1匹突いたな。これを快挙と言わずして何と言おう!?そう。俺は開眼してしまった。俺の手から放たれたヤスは水中を切り裂き、まっすぐと鮎を射止めたのだ。ヤスを通じて、手のひらに伝わってくる鮎の暴れる振動で、俺の脳みそにはドーパミンが溢れる。鮎を!もっと鮎を!!川の冷たさで、唇が紫になり、奥歯がガチガチと音を鳴らしても、取り憑かれたように川へ入る。ついに俺は、職人の領域に足を踏み入れてしまったのだ。はっはっはっはっー。親父に勝とうなんて、100年はハワイアン。ざまあミクロネシアン。

 

アラタは悔しそうに、道具が悪かっただの、寒すぎただのとモゴモゴと言い訳をしていた。俺は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男が言い訳をするんじゃない(怒)」

 

 

 

 


そうして、今年は気兼ねなく堂々と鮎の塩焼きを食べることができた俺であった。旨かったなぁ鮎、ガツガツと。呑んだなぁビール、ぐびくびと。

 

ただね、ひとつだけ問題があるとすれば……く、首が痛いんだよねぇ。ははーはははのはー(泣)

 

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宣誓

肉体労働系プータローを辞めてサラリーマンになった1999年頃からおよそ15年間、ほとんどの休日を室内でおとなしく過ごしてきた。(もっぱらの趣味は読書と映画鑑賞でした。)そのくせに、3年ほど前から、ええ年こいてダートバイクや合気道林業やその他なんやかんやを始め、休日には身体をフル稼働させてきたもんだから、ついに無理がたたって首を痛めてしまいました。以前から首が弱点だったのだけど、今回は本格的にこじらせてしまったようで、なかなか完治しないのよね。(と、歳のせいなのか?)

一番タチが悪いのは、「サボったり、ほどほどにすることができない」という自分の性分なんですね。目の前に、おもしろそうなことや、やらなければならないことがあると、がむしゃらにやってしまう。イラチな上に、根が真面目なもんだからしかたがないのだけど……挙句、首に疲れが溜まって爆発してしまうのです。

痛めた首は、いっときに比べたらだいぶ良くなり、ようやく動けるようになってきたんだけど、やっぱり気づいたら無理してしまう。先週も合気道の稽古を見学するつもりだったのに、フル参加してしまった。(見てるだけなんてできないのよ。)しかしね、これでは首の回復が、三歩進んで四歩下がってる状態なのですよ。

そこで、今後は「目いっぱい」をやめることにします。ゆっくりします。休みます。思い存分、力を発揮せず、正々堂々とサボることをここに誓うのです。そんな俺を見つけても、そっとしておいてください。

そして、もしも我を忘れて前のめりになっている俺を見かけた時には、襟首をつかんで注意してください。いや、やっぱり襟首をガッとひっぱられると首にくるので、やめてください。迷惑です。ゆっくり肩に手を置いてから、優しく微笑んでくださいね。

 

合気道関係の皆様へ】

 

首を庇って、満足に受身がとれないので、「受け」はしばらくやめときたいと思ってます。稽古中「取り」だけをするってのは、ずっとバッターボックスに入ってバットを離さない奴みたいで、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、ご理解とご協力の程よろしくお願いします。

ゾロ目について

ある市営体育館のロビーで合気道の稽古が始まるまでに時間があったので、たまたま会員証の出席表スタンプを数えてみたら、99個押してあった。てことは今日で、お稽古100回目ってことだ。100回目だからって、別になんてことはないのだが、なんだかこういうのはうれしいじゃないか。

それにしても、これまで会員証のスタンプの数なんて、一度も数えたことなんてないのに、こんな日に限ってというか、こんな日だからこそ数えたのだろうか。きっとこれはあれだ。会員証のゾロ目が俺のこと呼んだんだな。昔、読んだ本に書いてたぞ。「ゾロ目は人を呼ぶ。」ってな。例えば、デジタル時計を何気なく見たら、「3:33」だった経験ないかな?俺は、真夜中に目が覚めて、時計を見たら「3:33」や「4:44」だったってことが何度かある。こういった現象は、「時計のゾロ目が人を呼んでいる」のだそうだ。

「おーい見てくれー!今おれゾロ目やねんぞー!!」という念を受けて、ゾロ目を目撃している。ような気が、ときどき本当にするから不思議だ。

しかしこの頃、デジタル時計が少なくなっているので、ゾロ目を見る機会がめっきり減ってしまったような気もする。残念ながら、アナログ時計で3時33分を見てもまったくテンションが上がらないばかりか、ゾロ目という気はまったくしない。やっぱりゾロ目といえば、デジタル時計だ。

ゾロ目を見る機会が減っているのは、きっとデジタル時計のゾロ目たちの組織力が弱まっているからに違いない。そこで考えたデジタル時計のゾロ目たちは、きっと世の中の会員証のゾロ目たちにも協力を呼びかけたのだろう。

「おーい!おれ今、ゾロ目やねんでーっ!見て見てーっ!!」

と、会員証のゾロ目に呼ばれた俺は、稽古数が99回だったということに気づくことができたのだ。教えてくれてありがとう。

祝、稽古100回。お次は稽古111回目の時にも呼んでね。

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イライラについて

タカシはイライラしていた。

 
 
 
 
なぜなら、この頃やっといくつかの技を覚えられるようになってきて、合気道の楽しさが分かってきたというのに、同期のKが毎週のようにいろんな知り合いを連れてくるのだ。見学者が来るたびに基礎練習に割く時間が増えて、技の稽古に割く時間が減っていた。
 
しかもだ。見学に来ただれもが入会するわけではなく、二度と顔を見ないことだって少なくなかった。「もっと技を覚えたいのに!」と、道場にいる誰もが感じているに違いないと、タカシの内心は穏やかではなかった。
 
その日も新しい見学者があり、ようやく技稽古に入ったかと思うと、足の捌き方がわからない人が続出し、タカシがせっかくコツをつかみかけていた ”四方投げ ” までたどり着くことができなかった。
 
稽古が終わり、合気道の開祖である植芝盛平先生の写真に全員で向かって礼をし、振り返った我が師のS先生に向かって再度全員で礼をする。続いて道場の真ん中で円を作ってお互いに礼をするのが、毎回の締めくくりであった。円を作り、最後の礼をしようとしたその時、いつも優しいS先生が大きな声を出した。
 
 
 
 
 
「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください! 」
 
 
 
 
 
普段は、注意深く聞いていないとS先生の声は聞き損じてしまうくらいの声量なので、これは相当怒っているのだろう。確かにその時の円は、お互いの間隔だってマチマチで全体的にぐにゃりと曲がってしまっていた。タカシは、心の中でこう思っていた。
 
 
 
 
 
 
 
「ほれみろ。Kが次々といろんなの連れてくるから先生だってイライラしてるじゃないか。」
 
 
 
 
 
しかし、それは技に溺れていたタカシの浅はかな考えだったことに気付いたのは、つい最近になってからのことだ。
 
 
 
合気道の稽古では、たくさんの技を覚えなければならない。最初のうちは、何が何のことだかさっぱりわからない。初めての技は、何が正解かわからず頭の中はクエスチョンマークだらけになる。しかし、先生や先輩に教えてもらいながら、何度も繰り返しているうちに、身体が覚えて、頭で考えずにサクッと動けるようになる瞬間がやってくる。その時はまるで、脳みそがパッカーンと開いたような感覚に襲われる。しかしだ。「出来た!」と思うのはその時だけで、じきにまったく自分が出来ていないことに気づいてしまうのが合気道の奥の深さである。なんせS先生ですら自分で満足できる技をかけたことがないとおっしゃっていることからも、合気道の技をモノにするするのはそんなに簡単なことじゃないというのが、わかってもらえるだろう。
 
稽古中は、ひたすら徹底的に技の完成度を上げることを目指すのに、「技なんてどうだっていい。」とは、矛盾しているではないか?と、考えたタカシは、単純にS先生がイライラして大きな声を出したのだと勘違いしたのだ。今となっては、ホントにタカシは馬鹿だ。優しくて、合気道が大好きなS先生は、そんなことでイライラなんてしない。するはずがない。
 
S先生は、技に溺れたタカシに向って声を大にして言ったのだ。きっと過去には、イラつくタカシを見て居心地が悪くなり、稽古に来なくなってしまった見学者もいたに違いない。タカシは全然分かっていなかった。
 
反省したこの頃のタカシは、新しくやって来て、なかなか技が覚えられずに居心地悪そうにしている人が、楽しそうに合気道ができるように気を配ること。そして、(昔のタカシのように)技に溺れて周りが見えてない人から、我が消えるように、言葉や態度で示してみたりすることにしている。
 
タカシが、何よりも稽古の中で一番大切にしようと心がけているのは、稽古相手と向かい合って礼を交わすときに、しっかりと相手の目を見てから、心の底から気持ちを込めて「お願いします。」と言うことだ。そして、最後に同じように「ありがとうございました。」と言うことだ。
 
稽古の中では、①先生がまず道場生のひとりを指名し、②みんなの前で解説を加えながら手本を示し、③それを2〜3人ずつの組みに分かれてから、④お互いに礼を交わし、④それぞれが技をやってみる。ということをやる。ある程度の時間をその技の稽古に割いたら先生が、⑤「ハイそれまで!」と言い、⑥またお互いに礼を交わしてから、①の過程に戻り、別の技をやる。ということを何度もやる。
 
この④と⑥の「お互いに礼を交わす」時に、相手の目も見ずにそそくさと適当にやってしまうことは、自分でしっかりと気をつけていないとついついやってしまうのだ。2人一組ならともかく、時には4〜5人で組む場合もある。そうすると、礼を交わすのがおざなりになってしまうのだ。それに、目を合わせて心を合わせるなんて、なんか照れ臭いじゃないか……しかし、
 
 
 
 
 
「もっときれいな円を作るように!技なんてどうだっていいっ! これだけはできるようになってください!」
 
 
これが、S先生の目指している合気道なのだ。この頃、ようやくその意味が分かるようになってきた気がする。
 
 
 
 
 
さて、タカシは見た目のマイルドさに反して、ギスギスしたり、角を立てたり、毒づいたりすることがあり、時には非情とも言われることがあるのだが、合気道の本当の楽しさが分かってきた今日この頃、これまでこだわってイラついてきたなんやかんやが、だんだんどうでも良くなってきた。
 
 
 
なんていう話を友人(悪友)にしたら……
 
 
 
「おいおい、どうした?タカシの持ち味がなくなってるやん。合気道やめたほうがええんとちがうか?」
 
 
 
と、言われた。いつも何かにイライラして怒っているのがタカシなのだそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うーむむむ。
 
 
 
 
 
おしまい。
 
 
 
 

闘争心を奮い立たせた結果について


4/10(日)にテージャスランチ広島で、なけなしの闘争心を奮い立たせてエンデューロレースに出場してきました。
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[広大な牧場を含む山の中がレース会場です。難しかったですが、最高のシチュエーションでした。]

途中、大きなミスを何度かしてしまい、悔しさもあるとはいえ、それも実力のうちですよね……100分のレースの中で、すべてを出し切ることができ、また壮大な自然の中を馬のようにバイクで駆けることができて、なかなか他では味わえない充実感でいっぱいです。とととととにかく悲願の完走が叶いました。


そして去年までなら、きっとクリアできなかったであろう難所に、ビビることなく突っ込んでいけたのには、自分でも驚いています。ビビリの閾値って下げることができるもんなんですね。でもね、無理からに闘争心を奮い立たせるため、「オラオラオラ〜ッ!」なんて叫びながら突っ込んでましたからね。あ〜恥ずかしいったらありゃしない。難所でスタックする人たちを助けるためにスタンバイしていたスタッフの人たち……お騒がせしてすみませんね。引いたでしょ?

そしてそして、なんといっても片道10km自転車立ち漕ぎ通勤の甲斐あって、足腰が驚きの強さになっていることが実感できました。これまでなら、レース前日のコース下見に歩き回るだけで、すでに身体はヨレヨレになってしまっていたのですが、今回はそんなことなく、自分のレースが終わった後にもランバージャックスレーシングの仲間が走るレースを応援しに、山の中へ入っていけたほどでした。

順位は160人中138位と、まったく奮いませんでしたが、バイクに乗り始めてから苦節3年……思い起こせば色々(怪我やトラブル、そして怪我。あと怪我とか?ちょっとした怪我?やだなぁもう、ただの怪我ですってば。え?また怪我?もうやめたら?なんて言われながらもまた怪我することが)ありました。

今になってようやくスタートラインに立てたというところでしょうか。参加者の中には若い頃からバイクに乗っている人たちやバリバリのモトクロス経験者が多いので、しょせんそんな人たちに勝てるわきゃあないのです。まぁ僕は、別に勝ち負けのためにやってないので、順位はどうでもいいのですがね。すなわちこれ自分との戦いですからね。

今回のレースで、ランバージャックスレーシングの仲間でもあり、ライバルでもあるNちゃんより順位では上にいけたものの、そんなに重要視してないっていうか、そりゃあまぁ自堕落な生活を送ってるNちゃんには負けんわな。って感じなので、うれしいとかの気持ちは特にないですね。感情は、まったくのフラットな状態です。勝ち負けじゃないんでね。




凪っすわ凪。穏やかなもんすよ。はっははーのはー。






まぁ謙虚な気持ちで、ひと言だけ言わせてもらうとするならば、















イャッホーーーイ!!









くらいですかね。


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[出走前の爽やかなタカシ]

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[完走後のボロボロなタカシ]

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[ランバージャックスレーシングの愉快な仲間たち]







おしまい。

闘争心について

昔から僕には闘争心がない。これは持って生まれた性格なのだろうか。


43年前の吐く息も白くなる1月の中頃に、僕はオギャアとこの世に生を受けた。そう、僕が早生まれで身体も小さかったことで、昔から同級生には、何をしてもかなわなかったこともその要因のひとつとしてあるだろう。「どうせ勝てないだろう根性」が染みついてしまっていると言えるのかもしれない。もちろん早生まれで身体の小さい皆が、僕のように闘争心がなくなるというわけではないだろう。しかし、僕の闘争心がない原因はそういうことなのだ。一般性があるかどうかは関係ない。とにかく僕には、オギャアと言って生まれた瞬間から闘争心なんてないのだ。

僕の闘争心のなさはこんな調子だった。

例えば運動会の騎馬戦では、進んで下の馬の後ろ脚を担当した。いざ出陣となり、運動場に舞い上がる砂埃の中、体操帽を獲るか獲られるかの真剣勝負があちこちで始まる。しかし、僕らに突っ込んできた敵が、圧倒的にデカくて、「帽子になんぞ興味はないっ!崩せっ!崩すんじぁっ!!」ってな場合にゃあ、僕は脇目も振らず、組んだ騎馬の手を振りほどいて一目散に逃げた。

だって体と体がぶつかったら痛いんだもん。

また例えば体育の授業でサッカーをしたらば、ボールには絶妙の距離をとって、なるべく勝負の大事な局面には関わり合いにならないようにした。しかし、何かの手違い(足違い?)で、僕の方にボールが飛んでくることもあった。僕はすぐさまパスを出した。相手が敵味方構わずにだ。

だってボールなんて持ってたら、ロクなことがないんだもん。
  
それくらい僕には闘争心がなかった。

学生時代は一応スポーツマンだったが、中学から大学まで一心不乱にテニスばかりをやっていたのは、テニスというスポーツには、身体と身体のぶつかり合いが起こり得ないことがその魅力としてあったように思う。



また僕に闘争心がないのは、TVでボクシングをやっているのを観ると、すぐ顔をしかめる母親に育てられた影響も大きくあったと思う。

闘争心のない僕は、格闘技にもまったく興味を持たなかった。興味がないどころか、嫌悪感すら覚えていた。人と人が殴り合っているのを観て、何が面白いのかまったく理解できなかった。ただただ、感想は「うわっ。」、「痛そうやなー。」、「この人らアホやな。」という否定的なものしかなかった。



しかし、2015年の年末に奥さんの実家で、お義父さんが格闘技を観ていたので、一緒に観ていたら、驚いたことに僕の格闘技に対する見る目が変わっていた。僕は自分の変わり様に、愕然とした。



観たのは1ラウンド10分もある格闘技だった。最初どんなにパワフルな選手でも、時間が経てば経つほど体力が消耗し、パンチやキックに勢いがなくなってくる。激しくぶつかり合い、お互い血を流し、肉体がボロボロになりながら、殴りあう姿を見て僕は……… 
 

感動を覚えてしまったのだ。勝った選手も負けた選手もどっちもかっこいいと思った。


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僕の中の何が変わったのかは心当たりがあった。それはきっと1年くらい前から、僕がバイクのエンデューロレースに参加し出したからだ。



身体と身体のぶつかり合いや競争からは避けて生きてきた僕が、事もあろうに40歳すぎてからバイクの免許を取り、エンデューロレースなんかに出ているのだ。



エンデューロレースとは、「自然の地形を生かしたダートコースで、ライダーの技術と体力を競う競技」のことで、短い時間のレースもあるが、基本的に耐久レースでもあり、2時間レースに参加したときの僕の身体は、まさにボロボロになった。

最初のうちは、友人に誘われてというか、そそのかされて出ていた節があった。レースが終わった後にその友人たちと飲む「うまい酒」が楽しみでやっていたところもあった。内容なんてどうでもよかったのだ。しかし、仲間たちを追っかけて、レースに出ているいるうちに、この頃だんだん心境に変化が出てきたのだ。


僕よりも、もっと前からバイクに乗っていた仲間たちでさえも、100分や120分間を連続して、荒地を走り抜けるエンデューロレースというやつは、思いがけないハプニングに見舞われ、新車のバイクを沼に埋めたり、レース開始早々第一コーナーで転倒して手首を骨折したり、または全身が痙攣しながら完走できずに悔し涙でむせかえるということがある。雨が降っても中止になどならないレース日には、文字通り泥水を飲みながら、ツルンツルンした路面をのたうちまわることもある。

もちろんレース中はぶつかったり、ころんだりして、時には怪我をしたりすることもある。レース中には「なんで俺、こんなことしてんのやろう?」、「早くおうちに帰りたい。」という気分でいっぱいだ。しかし、不思議なことに完走したあとの爽快感ったらないのだ。



そして、一緒に走る仲間たちや他の選手たちの姿を見て思ってしまったのだ。












美しい……と。






考えてもみてほしい。「大の大人が自分の極限まで全力を出し尽くす」なんてことがあるだろうか?いや、これはなかなかないだろう。

格闘技を観て嫌悪感を抱くのは、全力を尽くしたことのない人間の発想だったことに、僕は気付いたのだ。そのリングに上がったことすらないくせに、ぬくぬくとコタツに入ってTVに映った格闘技に嫌悪感をひたすら抱くなんて、なんて無知で失礼なことを僕はしてきたんだ。と深く反省した。

この頃思う。僕がバイクで怪我ばっかりしているのは、これまで人生の色々な局面において全力を尽くすことから避けて生きてきたツケを払っているのだ。

…….と、この文章を担保にして、今年も僕は怪我をしまくるのだろう。さぁどっからでもかかってこい。








さて、残念ながら、こういった気持ちは僕の子供には、まったくといっていいほど伝わっていない。レースに出ても、「パパ勝った?何位やった?」「また怪我するだけやで?」とか言っておちょくってくる。

実は去年、僕の全力を出し尽くした姿を見てもらおうと、家族をあるレース会場に連れて行った。そのレースは、スキー場を使った強いアップダウンや雪解け水の流れた後の溝がコースのあちこちに斜めに走る、かなり厳しいレースだった。その時は、(相変わらず)怪我に継ぐ怪我が多かったため、ほとんど練習できないまま挑んだレースではあったが、少し舐めていたことも確かだ……僕は、そのレースに太刀打ちできずにDNFした。つまりDid Not Finish……途中棄権だ。

スタートしたまま一向に帰って来ない僕を心配する家族の前に現れたのは、担架に乗った僕だ。僕は力なく笑うしかなかったが、それが僕のその時点での実力だった。心底情けなかった。

今となっては、すっかり笑い話だ。もちろんカッコよく走る姿を見せてやりたい気持ちもあったが、なによりも完走してボロボロになった姿をみせたかった。


残念ながら、怪我により僕のその目標は叶わなかったが、僕が家族に本当に見てほしかったのはレースで上位へ行けるかどうかということじゃないんだ。別に勝たなくてもかっこよくなくてもいい。問題は全力を尽くしているかどうかだ。




いつか僕の子供が、(そうだなできれば40歳過ぎてからのほうがいいな……)このブログを見つけて読む時がきて欲しいと思っている。僕は子供らにこう問いたい。












お前たちは今、全力を尽くしているか?





そして、お前たちは気づいているのか?





単なる順位としての速さや見た目の美しさ。






ではなく、泥や汗や鼻水の中に混じる美しさがあるということに………










できることならば、その時にまだ僕は、全力を尽くすことを求めてジタバタしていたいと思う。すでに僕は70前になっているだろうけれども……。








おしまい。

緊張感について

ものすごい緊張感だった。

3月20日(日)12:30 全日本クロスカントリー選手権「サザンハリケーン」の戦いの火ぶたが切られた。 AA1クラスの猛然としたスタートを見た我々は、あわてて丸太セクションへ駆け寄った。

全長約6.5kmに及ぶコースの最後にレイアウトされた丸太セクションへ、ライダーたちがやってくるのは10分ほど後のことだろう。

丸太の固定は崩れないか?我々の不備による怪我人はでないか?何かトラブルが起こったときに、ベストな対応ができるだろうか?




約半年前、このレースの主催者であるJNCCから丸太セクションの設営を打診された我々は、何の迷いもなくそれを引き受けた。面白そうだったから、様々なアイデアを提案し、JNCCとの打ち合わせを重ね、必要な丸太を数え、東吉野の放置された山へ入り、杉の木を300本切り倒し、運び、そして600箇所に穴を開け、紆余曲折四苦八苦悪戦苦闘七転び八起きしながら設営したのだ。なにぶん初めての経験だったので、やってみると不安な要素が圧倒的に多かった。



日本のトップライダーたちが集う3時間のレースの中で、およそ2000回以上もハイスピードで丸太にバイクが突っ込んでくることになる。何が起こるのかは想像もできないが、なにがなんでもレースを中断してしまうようなことだけは避けたい。丸太セクションの周りに陣取った我々が固唾をのんで見守る中、バイクの爆音がこちらへ近づいてきた。

ものすごい緊張感だった。

丸太セクションの手前100m先に見えるカーブから先頭を走るライダーが姿を現したかと思うと、次から次へとライダーがやってきて丸太セクションへ突っ込んでいく。僕らの苦労とは関係なく、トップライダーたちにとっては、それほど難しいトライではないようで、なんの躊躇もなく丸太へ突っ込んでいく。もちろん中には、失敗するライダーもいるし、行きたくないなぁというライダーのための迂回路も用意されているため、セクションへ入ってくるのは技術の高いライダーがほとんどなのだが、レースの二日前、設営中の我々に向かって「簡単すぎる。」と言ってきた地元のライダーに対する悔しさが、ふと胸に蘇ってくる。あまり難易度を上げたくない主催者の要望に応えた結果なのだが、我々が設営にかかった時間と苦労を思うと、やり切れない思いが胸を覆う。無理に無理を重ねて、身体のあちこちが痛むし、我々はずいぶんと疲れきっている。

・・・ん?

その時になって気がついた。我々が作った丸太セクションの周りには応援に来たライダーたちの家族や友人らの人だかりができていたのだ。その顔には興奮の色が浮かび、始終キラキラした目のままレースを見つめている。カメラや携帯を手に歓声を上げ、いつまでもそこを動こうとしない観客たちを目にした我々は、目頭が熱くなるとともに、今回の試みが成功したことを確信した。



疲れも一瞬でぶっとんだ我々は、飛びっきりの特等席から、観客たち以上にレースを楽しんだのであった。

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